満ち満ちた幸福あれ
第四期:いつもの
民草たちと、共に紡ぐ歌声。……俺の歌は誰かを幸せにするだろうか。
セリオンでのイベントで再び同じチームになった
かげつきのクラン と ミセイコジンの民草。
今回はダスティを(半ば無理矢理な形で、だが)リーダーとするチームで
仲間たちと非常に楽しく、大健闘したのであった。
イラスト:かげつき
そんなイベントの余韻も冷めやらぬ、ある日。 ミセイコジンの里へと突然やってきたのは…。
やっほー♪
こんっちはー、遊びに来たよー、むしろ歌いに来たよー♪
色々楽器が入っているのだろうか、大荷物でやってきた。
やや、みんな元気?
こないだはお世話になったね。特にリーダー!
すごくすごく頼りになったよ、ありがとねー。
色々おみやげも貰っちゃってありがとーね! コーヒーっぽいのおいしかったよ。
じゃあお邪魔しまーす、おじゃまするね?
何処で歌えばいいかなっ♪
えっと、どうも。
お土産に珈琲なんかも持ってきたのですが。
僕らは荷物持ちでメインはテルプさんが歌いに、来たんですけれど。
そっとコーヒー豆とコーヒーミルなど、道具一式が入った箱を差し出して
己(おれ)は林檎を持ってきたぞ。皆で分けられる程に数があればいいのだが。 背負ってきた大きな籠いっぱいにごろごろと林檎が入っている。
「あー見世物ですか? いらっしゃー……」
複数ある質素なテントの一つから、白いウサギの耳を持った半獣人が顔を出した。
しかし相手が見物客でない事がすぐに分かったらしく
「ちょっと待っててくださいね」
と一言残して別のテントへと入っていった。
(「へびゃァアア!?」)
テントから奇怪な悲鳴が響いてきた。おそらく声の主はダスティだ。
こんちはー!! わーコンサートしてくれるんだね! やったー!
とりあえずココで待ってて! オレ皆を呼んだりしてくるね! あ、コレおいしい! すごい!
そうだ、皆にコレ配ってリンゴと歌を楽しめるリンゴコンサートにしよう!!
***
一方的に『見世物小屋エントランス』──
屋外の少し開けた場所に小さなテーブルと椅子があるだけの空間だ──へと三名を案内すると、
マーリオはいつの間にか手にとっていた土産の林檎を齧りつつテントに向かって駆けていった。
***
「ごめんなさいね、慌しくて」
最初に顔を見せた白ウサギ耳の半獣人が
焼き菓子を盛った皿と水の入った木製のカップを三つテーブルに置く。
コーヒー作成用の諸々があるのに気が付くとそれらを持って一旦引っ込み、
茶色い飲料の注がれたカップも並べた。
「開演までにダスティがやっておきたい急ぎの用事があるそうなんで、
なるべく待っていてください」
丁寧に言った後、悪戯っぽく付け加えた。
「なるべくね。待ちきれなくなったら、引きずり出してきますんで」
──しばらく、テントからテントへとマーリオとケントが行き来する姿が見られた。
時折二人が同胞と交わしているらしい言葉も聞こえる。
(「分かったよー、開幕前になったらまた呼びにくるねー」)
(「あ? 小説? しおりでも挟んでろよ、小説にはしおりを挟めるけど
吟遊詩人はしおりを挟めないだろ。いいから来い、手伝え」)
やがてテントを行き来するのはマーリオ一人となり、
ケントが数名の仲間を連れてエントランスへとやって来た。
彼らは頑丈で背の低い木箱を隙間無く並べ、即席のステージを作った。
周囲に微かな花の香りが漂っている。
自らの発する臭気を人間に嗅がれるのが嫌だ、という住人へ向けた配慮だ。
マーリオが先導し、テントから出てきた仲間たちを客席──
野外用の絨毯の上へと座らせる。仲間たちの容姿は様々だ。
人型の部位が少々他の動物に変わっただけ程度の者もいれば、
なるほど見世物として振舞わなければ生きるのが困難だと思われる者も少数いた。
ローブを纏って姿を隠している者も多数いる。
舞台を作った。客席を作った。香が焚かれた。林檎とコーヒーを希望者に配った。
暇なのか、ケントが舞台の周囲に種をばら撒いている。
あっという間に蔓が伸び、絡み合い、花のアーチが舞台を飾った。
もう十分開演の準備はできたであろう頃になって、
ダスティが慌てた様子で現れた。
ようこそいらっしゃっ、ぐ、ぐふっ
……ハァッ、ハァッ、だ、大丈夫です。……ま、間に合っ……
あっなんか視線が痛い!? 主にケントのが! す、すいませんん!
その、せっかくですし、これをリクエストしようかなって。
曲目のどこに入れるかはお任せします。
楽譜になんてほとんど触れてこなかったし、
ブリアティルトの様式に直すのに手間取っちゃいました。本当すいません。
***
差し出した一枚の紙は、言葉通りに楽譜だった。
主旋律を示す音符の並びが書かれているだけのシンプルなものだ。
どこか切なさの混じった優しい旋律に歌詞が添えてあった。
『希望の火が照らし
命の水が湧き
豊かな地が抱いて
追い風が囁く
私の愛する人がゆく
旅路に祝福あれ
これからあなたがゆく道に
満ち満ちた幸福あれ』
***
や、急に来ちゃって申し訳ないね。と言いつつ、全然申し訳無さそうな顔。
受け取った楽譜をチラと見て。
あぁ、うん。いい曲だ…。にこりと笑う。
ん、これは、後で皆でやろう。うん、ありがとリーダー。
片手を挙げて、注いでもらった水を一口。そのままぴょこんと、特設ステージへと上がる。
い、いえその。
……も、もうリーダーじゃないんでそのソレは勘弁してもらえないスか?
ダスティが楽譜への謝意にしどろもどろに返答する。
(なんかこう言ってもあんま聞いて貰えなそうだな)
と思いつつ一応自分に対する呼称への異も唱えておいた。
演奏会が始まろうとしている。 自分は林檎を持って客席の一角に座った。 特に交流の深い者達がすぐ傍に座っている。ケントとマーリオ。 ケントの兄、白いウサギ耳のランド。 マーリオの後見人、老婦人クラウディアもいた。
素敵な飾りを、素敵なステージをどうもありがとう。
さて皆々様。はるばるブリアティルトへようこそ!
おおげさな仕草で、客席に向かって礼を、何度も。
この世界は、ご存知の通り、黄金の門ってのがあって。
……黄金の門。知らない人、居る?
色んな世界から、色んな人を呼び寄せる、魔法の門さ。
ブリアティルトのヒトは、こことは異なるたくさんの世界がある事を知っている。
そしてそこから来る、見たこともない奴らが、俺達の友達になれる事も知っている
ま、こっちにも色んな人間がいるけどさ。
少なくともこの曲を作ったヤツは、そう考えてたんだろうね。
この土地に、昔っからある歌のひとつだよ。
『 黄金より、ようこそ! 』
異界の吟遊詩人の歌とはどのようなものだろう? ある観客たちは興味津々といった様子で、 またある観客たちは少々疑わしげに、 ステージ上の主役を見つめながら囁きあっている。 しかし口上が進むにつれ私語は次第に消えた。 客席からの視線がどこかしら真剣な感情を帯びたようだった。
それは色んな国の音楽をごちゃまぜにしたような、無国籍なメロディーで。
どこかの吟遊詩人が様々な異邦人たちからメロディーを聞いて、
それをつぎはぎ繋げて一曲にしたものであると言われている。
ごちゃまぜで、ばらばらで、それでいてひとつに完成している、
黄金の門と異邦人、門の向こうの無数の世界に思いを馳せた歌。
♪ ようこそ 見知らぬ国の 見知らぬ人よ
僕らも そちらにとっちゃ 見知らぬ国の 見知らぬ人だ
黄金の輝きが 引き寄せた これは運か 運命か
出会わぬ筈の 者が出会った これは一大事
たくさんの糸が ここで合わさる 世界の中心
違うもの 違う心 交じり合って生まれる 新しい世界!
黄金よ 新しいものを 連れて来て
黄金よ 明日の友を 連れて来て
陽気なメロディーが途切れると、一度深々と礼を。
歌が始まる。久しぶりに聞く、身内以外の者が鳴らす楽器の音。
ローブ姿の観客が二人、互いに顔を見合わせた。
何気なく弾かれた旋律の一部が二人の住んでいた世界、
二人の住んでいた地方に伝わる曲にとてもよく似ていた。
全く同じ場所から来た者が以前にもいたのか?
それとも酷似した文明を持つ異世界の人間がどこかにいたのか。
もし出会ったら、気が合っていたかもしれない。
おそらくは会う事のないだろう遠い地の友人に少しだけ想いを馳せた後、
ローブ二人は視線をステージの上へと戻した。
ミセイコジンの民たちは皆歌に聞き入った。
ようこそ。そのような言葉をかけられたのは、
この世界に来て初めてではなかろうか? 勿論、歓迎の意を示す歌を送られたのも。
観客たちは思い思いに笑顔を作り、楽しげに囁きあい、涙ぐんだ。
「良い歌ね」
「うん!」
クラウディアとマーリオはそれだけ言葉を交わして、あとはずっとステージを見つめていた。
マーリオは時々真顔になった。
体に刻まれている魔法の紋章が精神を勝手に制御するので、
彼は普段どこかしら抑制された感情しか示さない。
しかし加工されるのを心の底から拒んだ時や
紋章に処理しきれない心の動きがあった時などに、
稀な反応を見せる事があった。
ランドは楽しげに歌を聴いていたが、
不意に悪戯っ子めいた笑みでケントに声をかけた。
「なぁ、この歌とクスリだったらお前どっちが好きなわけ?」
ケントは兄に向かって鋭い視線を投げかけると、
思い出したように手元の瓶から伸びるストローに口をつけた。
それから難しい顔をして言った。
「……どっちにも、それぞれの良さがある。一概には、決められないよ」
「ほぉ? そりゃお前にしてみると最大級の褒め言葉よね?」
「……なんかイラつくから、お前は後で絞める」
嬉しげなランドを一睨みしてからケントは再び歌に集中した。
静かに歌を聴いていたダスティは、ふと思った。
ようこそ。友達。勿論この世界に来てからしばしそのような言葉とは無縁だったが。
(そもそもミセイコジンにいた時から、俺は)
故郷での暮らしを振り返る。侮蔑。嘲笑。敵意。
街に出てからはどうだったか。あの土地は仕事はあっても余所者にはどこか冷たかった。
(異世界に来てからようやく得た経験ってことか)
様々な感情が入り混じった笑みを小さく浮かべると、林檎を齧った。
演奏が終わって舞台の人影が一礼すると、観客たちは惜しみない拍手を送った。
叩く為の手が無い者も、動かせる部位で精一杯の感動を表した。
や、ありがと、ありがとーー♪
拍手に応えるように、何度も頭を下げて。
顔を上げる度にぴょこんと髪の毛が一房、跳ねるように、嬉しそうに。
さてさて、今日は、色々いっぱい持ってきたんだよー。
んーっと、ちょっと、待ってねー。
重そうな大荷物…カラフルに塗り分けられた大きな箱を皆の前に持ってきて。
もったいぶったように、中身をごそごそと。
あ、そうそう、これこれ!
取り出したのは様々な小さな楽器。すべてとても簡単な造りのもので。
例えばカスタネット、マラカス、鈴、ハンドベル、単純な笛。ぎざぎざの木を棒でこすると音がするもの。棒の先に木の実がたくさん付いて、振れば音がするもの。大小様々な金属片、コップや紙箱まで、叩くと音がしそうなものなら何でも。そんなおもちゃの様な楽器を取り出して。
俺っちねー、こういう、パーカッションっての。こういう楽器が一番好きでさぁ。
きっとね、この世界で、最初にヒトが奏でた音楽は、こういうやつ。
あ〜〜♪ あ〜〜〜♪ あ〜〜♪
高い音、低い音、よく通る声を出しながら、自分の手を叩き、足でステージを鳴らして。
ふとそこに目についた、先程まで水の入っていた木のカップを
コン、コンとテーブルに打ち付けて。
テルプがステージの上で喋っている間、
赤坂と天野が箱のなかの楽器を観客席のみんなに配って歩いた。
マーリオとその横の婦人には、鈴がたくさん付いた木の楽器を。
振るとしゃらしゃらと楽しげな音が鳴る。
ケントには竹で出来た…足で踏むと気持ちよさそうな形をしているもの。
お隣りのお兄さんにはそれと似た木の楽器。
叩くと、節ごとに違った高さの音が鳴るらしい、との説明がされる。
天野が叩いてみせると、ぽこぽこと可愛らしい音がした。
ダスティには、小さめのタンバリンと…、赤坂がいたずらっぽい笑みと共に小さい笛を渡す。
金属で出来た十字の形をしたそれは、軽く吹いてみるだけで会場中に響く大音量のもので。
赤坂と天野もそれぞれ残った楽器を手に、ステージの脇へと戻った。
失礼♪
演奏が難しい者の元にテルプが向かうと、
紐のついた小さな鈴を、服や髪など許可の貰えそうな場所にいくつか結びつけて。
それは身体を揺らすとリンリンと軽快な音を立てる。
俺っちもねー、ここに鈴いっぱい付けてるんだ。お揃いね♪
自分の髪に付いた小さな丸い球体を指して、にこにこと笑うと、ステージへと戻って。
人々は楽器を渡されると興味深げに見つめ、各々が軽く音を出し始めた。
「ピュイッピピィー!?」
大音量の笛の音が立て続けに響く。渡された物を何気なく吹いたダスティが、
その音に驚いて更に息を噴出してしまった結果である。
視線が集まる。彼は両手で顔を覆い、悶えながら頭を下げて謝っていた。
「聞いてない、こんな凄い音なんて聞いてない泣きたい……」
「言ってなかったものねぇ」
「よりによってダスティが渡されるとかまじウケるわぁ」
周囲の仲間と言葉を交わしつつタンバリンへと持ち替える。
振れば音が鳴り、叩いても鳴る。
自分がいた世界にあった物と同様の使い方である事を確認した。
最初はきっと、世界中、目に見えるもの全部が楽器にだった。
発する音すべてが音楽だ!
1回鳴らせば『音』。2回鳴らせば、それはもう『リズム』。
さ、みんなの、奏でる音を聞かせて? 一緒に、リズムを、さぁ!
歌い出したその歌は、風を称える歌なのか、旅立ちの歌なのか。
よく通る声で歌いながら、手拍子を促す様に。
ステージ脇で座り込んだ赤坂が控えめに、ぽこ、ぽこ、と楽器を打ち鳴らし。
天野の、非常にリズム感の乏しいしゃかしゃか、という音が聞こえる。
最初は簡単なリズムから。次第に少し複雑な。
タン・タ・タン タ・タン タンタン♪
いけるー? ほらほら!
ステージを降りて、踊るように皆の間を駆け回って。
タン・タ・タン タ・タン タンタン♪
繰り返す。
客席も交えた少々不恰好な演奏会が始まった。
マーリオは空いた上体を動かし、踊るように鈴でリズムをとっている。
ケントは渡された楽器を外套の中から伸びた蔓と共に叩き、無表情ながら合奏を楽しんでいた。
ダスティは正確な演奏をしようと真剣に手本へと耳を傾けながら手を動かしている。
「ウウ……フ……ウフッ、グ、フウウッ」
ローブの中から奇妙なうめき声を出して震えている仲間に、隣に座っていた男が気付いた。
確かローブ姿の彼女は歌姫になるという夢があったはずだ。
それが災厄のせいで顔は醜くなり、声は潰れ、言葉を紡げなくなった。
泣いているのか。今の状況が、嬉しくて? それとも悔しくて?
深入りはすまい。男は何も言わず、片手で演奏しながら彼女の背中を空いた手でさすった。
正しくリズムを刻んでいる音もあるにはあったが、それから大きく遅れて鳴る音の方が多い。
そもそも合わせる気があるかも定かでない無秩序な音もあった。
リズムを刻む技量は客同士の間で深刻な格差があるようであったが、
誰もそれを気にする様子は無い。各々が楽しそうに楽器を鳴らしている。
音の潮流が、森の一角、ミセイコジンの里を包んでいた。
舞台の上の彼は嬉しそうに、楽しそうに。奏でられる音楽も同じ様に、弾むように。
まるでこの世界にある、辛いことも悲しいことも全部忘れてしまったような。
ばらばらのリズムを体中で受け止めて、男は曇りなく、幸せそうに見えた。
……心と音は少し似てる、って、俺っちは思ってるんだ。
そこにあって、響いて、届く。どんな音だってとても綺麗だ。
続いていくつか弾いた曲は、やはり明るいものが多かった。
手元の楽器を打ち鳴らしたくなるような。
♪ こころひとつ 少し揺らいで くうきが揺れて 音が響いた
誰かの音と ふたつ、みっつ 交じり合って ひとつになる
遠く 音が届かぬ程の遠くに こころだけが 響いていった
どこまでも どこまでも どこまでも
どこか遠くで こころ動いて 水面を揺らし 波が生まれて
押し寄せて響く ひとつ、ふたつ 俺のこころに 届いたんだ
遠い 誰かの想いがこの胸を こころを揺らして また響いた
生まれた音は 世界の音と交じり合い
どこまでも どこまでも どこまでも ……
おどけたようなリズミカルなメロディで。
そうやって…童歌のような短い曲も合わせて20曲近く歌っていただろうか。
またひとくち、水を飲むと、ステージの真ん中へ。
自分を楽しませてみせろという一方的な好奇の視線は嫌というほど浴びてきた。
醜悪な化け物は排除せねばならないと拳を振り下ろされる事もあった。
しかし今、共に楽しもうと視線を交わし手を取り合ってくれる者達がいる。
このような機会はそうそうあるまい、里の民達はそれを分かっていた。
歌に聴き入り、楽器を鳴らし、歓声をあげる。貴重な時間を楽しみ尽くす為に。
「やっぱり皆娯楽に飢えてたんだねー。お兄さん達来てくれて良かったね!」
マーリオが近くにいる仲間へ言った。
手元の鈴はしゃらしゃらとかろうじてリズムをとっている。
「娯楽というか……うん、まあそれもあるけど、やっぱり人の心って大事だよな」
「そうだね」
どことなく深刻な目つきでダスティが呟く。
同意したケントはいつもの無表情であったが、付き合いのある者は
彼が言いよどむ事なく即座に返答するのが本心を示しているサインだと知っていた。
「そっか、心かー。そうだね、心は大事だねー」
マーリオが明るく言った。
そんな三人の様子を見ていたランドとクラウディアは複雑そうな笑みを交わす。
聴衆は演奏が一時中断して各々で盛り上がっていたが、
今日の主役が舞台に戻ってくると自然と声を潜めて次の曲目が何か注視した。
──んじゃ、ダスティに教えてもらった曲、行こうか。
みんなの知ってる、たいせつなうた。……うたわせてもらうね。
楽譜を手に取ると、両手で胸へと押し付けるようにして。
ア・カペラ様式で、歌い出す。
希望の火が照らし
命の水が湧き
豊かな地が抱いて
追い風が囁く
私の愛する人がゆく
旅路に祝福あれ
これからあなたがゆく道に
満ち満ちた幸福あれ
これまでの、楽しい歌とは違う、どこか祈りのような響きの声で。
同じ歌を繰り返す。
今度はリュートを取り出すと、伴奏を付けて。
優しく、やさしく、幸福を祈るように。
希望の火が照らし
命の水が湧き
豊かな地が抱いて
追い風が囁く
私の愛する人がゆく
旅路に祝福あれ
これからあなたがゆく道に
満ち満ちた幸福あれ
魔法に長けた者は、舞台の上の魔法の力に気がつくかもしれない。
テルプの得意な『幻術』は、光と音を操る術で。
先ほどの自分の演奏を会場に響かせて、その歌に重ねるように
同じ歌を繰り返す。
…私の愛する人がゆく 旅路に祝福あれ
これからあなたがゆく道に 満ち満ちた幸福あれ
歌が始まる。優しく響く祈りのような声。
彼の手にあった紙の正体を知らなかった者達は皆ハッと息を呑んだ。
楽器を構えていた手が、下りる。静寂の中に歌が広がってゆく。
繰り返される郷土の歌に人々は何を思ったか。
ある者は切なげな。ある者は優しげな。ある者は嬉しげな。
様々な視線がステージへ投げかけられる。
抱いた感情の形はそれぞれであったが、思い描いたものは皆一様であっただろう。
黄金の門の彼方……故郷の地の、平和であった頃の風景。
クラウディアはふと、魔力の流れを舞台上に感じ取った。
(幻術によって音を反復して、歌を重ねる。彼はとても優しい魔法を使うのね)
かつてマーリオやケントがいた魔道研究所が思い出された。
高い魔法技術を有しながら人の不幸ばかりをうず高く積み上げていた場所。
(あそこの連中に、爪の垢を煎じて飲ませてあげたかったわ。
もっともその時は私も一緒に飲まないといけないかしら)
彼女自身、長らく魔法は武器として振るってきたのみだった。
舞台上の優しき術使いが、とても眩しく見えた。
「なあ、彼の名前はなんて言うんだい?」
「え? え、あ、そういえば紹介してな、ハゥッ!!」
「テルテルだよー」
「……テルプさんだろ」
少し離れた席から突如投げかけられた質問に、
冒険者部門のメンバーは三者三様の答えを返す。
質問者、ならびにその会話を聞いていた者達はケントの回答を信じる事にしたようだ。
胸中に訪れた様々な感動を咀嚼しきって反応を示す猶予が観客たちに生まれたのであろう。
割れんばかりの拍手が巻き起こる。
「テルプー! テルプー!!」
「最高ォー!!」
「テルプ──!!!」
「オオオーッ!!」
「テルプさん彼女いるのー!?」
「むしろ彼氏はいますかー!?」
ありったけの歓声と笑顔が舞台へと浴びせられた。
「……こんな愚かな兄を持ってしまった事を、恥ずかしく思う」
ケントは一人、歓声に混じって戯言を投げかけている兄を憮然とした表情で見ていた。
イラスト:かげつき
重なりあった自分の声と演奏に、里の民の声と拍手が重なる。
これは、自分の歌だけの時よりも、ずっともっと素敵な音だと、いつもテルプは思うのだ。
素敵な歌を、素敵な場所を、素敵な音を、ありがとう!
みんな、最高だよーー! また一緒に、歌いたいな!
舞台に立ってる時は、みんなが恋人だよーーー!
ぴょこぴょこと、お辞儀をするたびに髪の毛が弾むように跳ねて。
さぁ、では……。
歓声に一通り投げキスを返し終わると、またリュートを爪弾いて。
今日の最後の曲になるようだ。
楽しい時間には終わりが来て。日は落ちて夜が来る。
今日の音があなたの心に、残り続けますように。
「ここが素敵な場所とは、恐れ入る。でも本当にそう思ってんだろうね。眩しいお人だなぁ」
一般的な市民の衣服に鉄兜というちぐはぐな格好の男、ハイナーが呟いた。
幸い誰も聞いていなかったが、口に出してから皮肉めいた言い回しだったと反省する。
(俺が吟遊詩人になるとしたら、このクチの悪さもどうにかしないとな。
顔も心も歌も汚いとあっちゃあ最後の砦は言葉を紡ぐ力だけだ。
しかし「今日の音が心に」か。あー、やっぱ言葉でも追いつける気がしねぇや)
何か学べる事を少しでも見つけられないだろうか? 胸中での一人問答を繰り返しつつも、
彼は本日最後の曲を歌い始めた先輩(場合によっては、だ)の様子を観察していた。
最後の曲だ。喰いの残らぬよう、聴衆は真剣に耳を傾けていた。
それこそ今日という日を心に刻み付けようとしているかの如く。
(でもオレは忘れるんだろうなー。事実は覚えてられてても、多分歌の中身までは無理だ)
マーリオは他人事のように考えた。
一瞬だけ寂寥が去来した気がしたが、意に介さなかった。どうせそれも忘れるのだ。
(今日は覚えられる範囲で頑張って、
もっと覚えられるようになったらまた歌ってもらおうっと)
おやすみ
深い紫色のカーテンが降りて
今日という日を 包み込んでく
やさしい夜に 抱かれて 眠ろう
明日というひかりを
目を開けて 受け止めるため
今日 目を閉じて おやすみ
それは子守唄のような。
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演奏が終わった数瞬の後、ミセイコジンの里の者たちが拍手を送る。 少々名残惜しげだったがテルプが語った通り、 彼らは今日の子守唄で心を休めた後また明日から生き延びねばならない。 休息の準備も必要だった。
ステージから降りたテルプに代わって赤坂から、今日持ってきた楽器はよろしければ全部持って行ってください、とのアナウンスがあった。そう言いながら、彼も手に持っていたなんだかぽこぽこと鳴る木の楽器を、自分のポケットにしまい込んでいるた。何だか大切に。思い出に。
どよめきが拡がる! 眠る覚悟をしていた民達が再び覚醒する──!!
手放したお祭りムードを素早く回収した者達が嬉しげに荷物へと殺到し始めた。
そこに出遅れた者が続く。争奪戦が賑やかに開始されるのは時間の問題だ。
赤坂のポケットの内に消えつつあった楽器の移動が不意に止まった。
しまおうとしていた腕、その手首に……植物の蔓が巻きついている。
根元まで辿れば、それがケントの外套から伸びているのが見えただろう。
ケントはじっと赤坂に視線を送った後、僅かに口角を上げた。
蔓が腕を離し、服の中へ戻ってゆく。
楽器が欲しかったわけではない。少しばかりからかってみたくなっただけだ。
(まあ、お祭りなら羽目を外すのがむしろ正しい事だから。僕は正しい事をした)
柄に無く行った自分のおふざけに対して何となく言い訳をしつつ、荷物を漁りに行く。
ランドとマーリオ、二人の兎型半獣人は既に最前線で小鳥型の笛を取り合っていた。
おお、こりゃあ、楽器、追加で作って来てもいいかもね。
そうしたらまたその時には…、違う音が聞けるんだろうな。
楽器の争奪戦を楽しそうに眺めて
後で残り物を再分配すればいいと考え
着席したままだったダスティにクラウディアが声をかけた。
「ダスティは行かないの?」
「あ、あれに混ざったら死にそうですよ」
答えると、同じく座ったまま何やらメモをとっていたハイナーがすかさず顔を上げ口を挟んだ。
「まったくだ、俺なんか見てるだけで既に死んでるぜ」
「まあ、ハイナーったらいつの間に幽霊を産んだのかしら」
「幽霊も産まれるモンなのかぁ」
老婦人と兜男が異次元めいたやりとりを始めてしまったので、
仕方なくダスティも立ち上がった。とは言え争奪戦に闖入する気も起きない。
一旦根城のテントに戻って飲み水の入った容器を持ち出すと、
彼は今日最大の功労者たち──天野、赤坂、そしてテルプ、その三人の元へ向かう。
「お疲れ様でした」
水を手近な場所に置きながら労う。
「まさか……まさか本当に……こんな、こんなにして貰えるとは、本当に」
感謝すればするほどそれを伝えなくてはという焦燥が募る。
焦燥すればするほどこのままではいけないという恐怖が募る。
そして恐怖が限界に達すれば、狂乱に陥る──
「ほ……本当に……あ、ありがとうございました」
……どうにか堪えた。真っ白に塗りつぶされた頭の中にその言葉がかろうじて残っていた。
続く言葉を手繰り寄せる。
「僕、僕らでは何も……何も報いる事ができないのが、心苦しいっスけど」
感謝の次にあったのは申し訳なさだった。悔しさと悲しさが入り混じり、顔が歪んだ。
心苦しい。彼らがこうして訪ねてくる前に、ダスティが故郷の話をした時もそう言った。
楽しい歌の材料は提供できそうにない。心苦しい。
(心苦しいって、俺の口癖なのかな。なんか嫌だな)
他人事のように思考する。自分を客観視しないと狂ってしまいそうだ。
「報いられない……ですけど……せめて、せめて今日の事を、ずっと忘れずにいます。
俺達全員……絶対、今日の事、今日の歌を。死ぬまで覚えてます。マーリオも、た、多分……いえ絶対頑張って覚えてます! 覚えさせます」
言いながら、『今日』を自分の中で反芻した。
友人という扱い。歌による歓迎。人情というものに改めて触れた心地だった。
皆心を求めている。安らぎを求めている。そう説明をしたが、
一番それらを欲していたのは他ならぬ自分自身だったのだろう。
「このご恩……ご恩は、忘れません」
そう言うと一旦黙った。しばし思案顔をして、苦笑する。
良かったと思った。締めくくりの言葉を出せる程度には緊張はほぐれたようだ。
「ブリアティルトの祈りの言葉が分からないんで、これで失礼するっス。
『あなた方の行く道が幸福に満ちていますように』」
いつものように引きつった顔での挨拶を、聞いて。
……報いることが出来ない?
とんでもない。最高に、楽しかったよ!
歌も、幻も、形の無いものだから。俺には、そこには…、本当は何も無いから。
軽く口笛を吹く。掌に生まれた魔法の光は、一瞬で霧散する。空っぽの手を握りしめて。
だけど確かに、みんなの心に響いた。それを、俺に伝えてくれた。
心動かしてくれればくれるほど、俺の心も嬉しくなる。鏡合わせなんだ。
だから、なんにも、なんて言わないで。
俺の歌は、誰かを幸せにする歌なんだと、そう思わせてくれたんだ。
俺っちも、嬉しいよ。ありがとう、俺も忘れない。……絶対、忘れない。
そう言う男の目は、喜びに潤んでいるようにも見え。
少し照れたように、イタズラっぽく笑みを大きくした。
祈りの言葉に、拳を挙げて返す。
『俺たちの行く道が、幸福に満ちていますように』!
「お返しができてたのなら、良かったです」 祈りを返されて、微笑んだ。この男に、本当は何も無い? それは違うように思えた。 本当に何も無い人間に、あのように心動かされる歌が歌えるはずがない。
…ね、ダスティに教えてもらったあの歌、里の外で歌ってもいいかな。
君たちの世界の歌を、俺が歌って、それを覚えた誰かがまた歌って…、
いつか、ずっと先の未来に、誰かが歌ってくれればいいと、俺っちはそう思うんだ。
「この世界にずっとむかしからある歌だよ」と、そう言って。
どうかな。里の中で大切にとっておきたいなら、俺の心にしまっておくけど。
それでも良い。大切な思い出の歌。傷付けぬように。
だけどいつかこの歌が、この世界へと溶けこんで。その頃には、彼らが外の世界と線を引いて生きる、そんな必要が無くなってますように。この世界とひとつになっていますようにと願いを込めて。……それが困難な道であることは、彼らの方がよく知っているだろう。
だけど、歌はそれでいい。そんな風に、希望だけで良い、と、
楽しい歌が好きな吟遊詩人は思うのだ。
それから続く申し出を聞いて、ハッとした表情となった。
「そう! そうっスよ、歌! せめて歌だけでもお収めくださいって
こっちから言おうと思ってたんです、それが、き、緊張で忘れっあっ、ぐっ、ゴフッ!」
今度こそ限界を迎え、言葉の途中で咳き込む。
(あぶねええ! 言ってもらえて良かった! 忘れるとこだった!!)
まだ手の付けられていないコップを選んで水を注ぎ、呷る。
言われた事の意味を考えた。ずっと先の未来。
(そのうち住人が全員死んでこの里は終わるけど、確かに歌くらいは残ってる方がいい。
でもそういうのとも違うんだろうな、この場合)
ダスティには将来に対する希望が見えていない。
なのでテルプの想いを全て感じ取る事はできなかった。しかし、
(俺の理解はまだ及んでいないけど、きっとこの人は大切な心を説いてるんだろう)
という想像はできた。
水を飲み終えた。
「すみません、大丈夫です、大丈夫です……はい」
コップを置き、続ける。
「もちろん、どうぞ外でも歌ってください。その方が皆もきっと喜びます」
想像だけで物を語るのはいつにも増して心細かったが、解らないものは仕方がない。
「あ……それに」
付け加える。
「それにその方が、僕も嬉しいです」
こちらは自信を持ってそう言えた。本心だった。
やったぁ!
じゃ、俺っちの持ち歌にしちゃおー♪
ダスティの「嬉しい」に呼応するように、テルプの表情はますます明るいものに。
…んじゃ、ほんとに、ありがとう! またね!
手を振ると、髪の毛もぴこぴこと挨拶するように跳ねて。天野と赤坂も頭を下げて、彼に続く。ケントと目が合った赤坂が…、珍しく、にかっといたずらっぽく笑うと、手を振りながら、ポケットの中から取り出した楽器を鳴らしてみせた。
「こちらこそ、ありがとうございました!」
挨拶を返すと、ダスティは去りゆく三人の姿を見送った。
彼らが見えなくなるまで。
色々な事があり、色々な事を考えた気がする。
高揚感に邪魔をされてか、頭の中は上手くまとまらなかった。
(まああれこれ物思いに耽るのはどうせそのうちやるだろうし。今日のところは……
人の心に触れて、安らぎを得て、良かったと思う。それだけでいいはずだ)
彼らが歩いていった方を向いたまま、
誰にも聴こえないような小声で歌を歌った。
自分が簡素な楽譜に書いて譲り渡したあの歌を。
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