家族との決別
第四期:巡る季節に終わりが見えて
──あれは多分恋だったんだ。
「アルトスク」
僕が彼女とはじめて話したのは、学園の裏庭で。
アルトスク。 いいなまえ、ね。 神様の名前だわ。
今日の合同実戦の結果は最悪だった。
追い詰められて狂暴に咆える魔物の叫びが空気を震わせる。
いつものように僕の足は動かなくって。
クラスの足を引っ張る邪魔者でしかない。
浴びせられる言葉と暴力から逃げ出した薄暗い校舎の影で、
俯いて、地面へと座り込んだ僕の前に、彼女は現れた。
じめじめとした裏庭へと、ほんの短い時間差し込む陽の光、
その日だまりの中で、手を後ろに組んで、立っていて。
彼女が言葉を発し、微笑んだその瞬間、その暖かな太陽の香りが風に乗って、
日陰にうずくまる僕を包み込むような。そんな気配を感じたのだった。
──あんまり好きじゃないです。アルトスク。
「正しくない人々」を灼き尽くした神様の名前だ。
僕は好きじゃない。
両親の、付けそうな名前だ。
正しさ、なんて、……答えの出るものじゃ無いって、そう思う。
まして其れで人を、裁くなんて。
それに僕は裁かれる方なんだ。
両親が…、皆が、僕に対して求める事に、僕は何一つ応えられずにいる。
あら、私の知っている神話とは少し違うのね。
……アルトスク。私達の神様の、いくつかある名前のうちの一つなの。
あまのやかける あまやふる つたなきこころに しるしおち
むかゆるけしき あらまほし みかげあてなり あまやふる
あまや…「天矢」……天駆ける矢。
光を放つその矢は、人の目には見えないけれど、この空に飛び交っていて……
自分の心の中の弱き心を、射てくれるのよ。
自分自身の中の「正しいこころ」を、守ってくれる。
そんな神様のなまえ。
あまや……あまかけるや。
聞いたことが無い
随分と僕の知ってるものと話が違う。……宗教ってそういう物ですよね。
都合のいいように捻じ曲げられて。
信じているものすら真実かどうかも分からない。
神様すら、本当に正義なのかどうだか、分からない……。
神様が本当に正しいのか、なんて、どうだっていいわ。
あっけらかんと、笑う。
ただ、自分の中に何か信じられる物を持てれば、いいって思う。
それが正しい神様だろうが嘘の神様だろうが、よ。
誰の意見にも惑わされない、自分が胸を張れる正しさがあれば……
少なくとも自分自身にだけは、正しさを証明出来る筈よ。
逆にいえば、……それを持たない人が、神様に縋るのかしらね。
ふらふらと風に翻弄されてしまうような小さな私達だから、
太く大きな柱が、必要なのかもしれないわね。
自分の中に…。
丁度その頃、僕は自問自答を繰り返していた。
両親から押し付けられた正義。魔物を狩る力の正しさ。
──彼らの思う通りの成果を出せない自分は、
彼らに反抗したい気持ちと、彼らに認められたい気持ちがないまぜになって。
自分の中の正しさ、なんて存在しないまま、彼らの正義に従う事も出来ずに。
そんな中途半端な自分自身を彼女に見抜かれた気がして、ひどく居心地が悪かった。
僕みたいな人間は、神様にでも祈ってろって。
そういう事です?
驚いたように目を見開いて、でもすぐに笑顔に
そんな風に、思っちゃうって事は。
……何か、悩んでいるのかしら? アマヤくん。
何を信じたらいいか、分からなくなってしまうくらいに。
関係、無いです。
……何なんですか、その呼び方。
だって、好きじゃないんでしょ? アルトクスっていう名前。
……私の知ってる神様の方なら、好きになれそうじゃない?
私は好きよ、「天矢」。
私の中の弱い心を、いつかやっつけてくれるの。
あなたも何かお悩みなんです? ──赤坂、那々珂 先輩。 やっつけて欲しい何かがあって、……神頼みしてしまうくらいに?
…………っ ふふっ
アルトスクの言葉を聞くと、吹き出した。
仕返し、なんて、やるねぇ、アマヤくんは。
ひとしきり楽しそうに笑った後。
私の名前、知ってたんだ。
そりゃ、まぁ…、有名ですから。
学園トップクラスの魔力を持つという黒き魔術の申し子の様な。
魔物を倒した数が絶対であるこの学園の中で唯一、
彼女だけは、その生まれ持った魔力でのみ評価される程の。
特別扱い、なんだ。
そんな『優等生』でも、自分の心を弱いだなんて。
僕からしてみれば。彼女はなんだって出来て、なんだって手に入れられるように見えた。
こちらこそ、驚きですよ。
あなたみたいな人が、こんな、僕みたいな落ちこぼれまで気にかけてくれるなんて。
よく、ここに来ているでしょう?
校舎が蒼暗い影を落とす中庭をぐるりと見回して、その後また僕の方へと振り向いて。
私も、よくここへ来るんだ。
嫌な事があったりしたら、逃げ出すために。
──今日はなんだか、「先客」に声を掛けたくなっちゃうほどに。
寂しかったんだ。
ね、そこ、座ってもいいかしら。
よく来てる、……か。頻繁に逃げ出してここに来ていたこと、
ずっと見られていたのか、と、急に恥ずかしくなる。
えぇ、まぁ、構いませんけど。
少し日は傾いて。彼女の立っていた日なたは既に影に塗りつぶされてしまっていたけれど。 軽い足取りで僕の横に座った彼女から、ふわり、陽の匂いがした。
そういえば、知ってる? この学園の地下に、大きな図書館があるの。
…? 図書館なら4階ですけど…、それとは別に、ですか?
そ。あそこは魔術に関する実用書ばかり集めてあるでしょう? 地下には人気の無い蔵書が物置みたいに集められているのよ。歴史書だったり、哲学書だったり、物語だったり、まぁ、ここの生徒には不要な本、ね。あそこなら、時間も潰せるし、楽しいし…
何より、他の人が寄り付かないし。
この裏庭もいいけれど、あそこも「逃げ出す場所」としては優秀よ。
彼女は僕にその「寂しさ」とやらをぶつけるでもなく、取り留めの無い話ばかりして
歴史、といえば。
学園の出来る前…、この土地に、古い遺跡があったんですって。
そこから生まれる悪しき魔力の流れを封印して作られたのが、この学園。
ここの象徴たる大きな魔石は、この土地を守っているの。
最初は…、この地のすべての命を守る為の魔法だった筈なのにね。
……彼女の話は僕にとってすごく、魅力的なものだった。
いつからこんな風に、ギスギスしちゃったんだろうねぇ。
両親や、学友たちとは全く違った価値観。豊富な知識。軽やかな笑い声。
自分の部屋へと戻った後も、耳の中でリフレインする彼女の声を聞いていて…
気が付いた。
いつも逃げ出した後に感じる、じくじくした胸の痛みを、今日は感じない事に。
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アマヤくん、今日は、……図書館の方、行く?
その後も、裏庭へと逃げ出す度に、
彼女は僕を待ってた様なタイミングで、にこにこと現れた。
そのまま裏庭で、のんびりと話をしたり、地下図書館へと行ってみたり。
もしかしたら僕がこの裏庭を逃げ場にするずっと前から、
この人はずっとここに、独りきりで居たのかもしれない。
カチャカチャと、金属音を立てながら。
図書館で、飲食なんてしてもいいのかなぁ…。
心配そうに周りを見回しつつも、手を休める事はない。
いーのいーの。
どうせ誰も……今ではもう先生だって来ないんだから。
勝手に持ち込んだ機材にポットを乗せる。シュンシュンと音を立てて、湯気が薄暗い空間を白く染める。
沸いたみたいよ、アマヤくん。
見つかったら怒られるだろうなぁ……。
ありがとうございます、とポットを受け取って、挽いた豆へとゆっくり湯を注ぐ。珈琲の良い香りが古い本の香りと混じる。心地よさそうに息を吸い込んだ。
珈琲なんて飲むのね。
珍しい物を見るように、ポトリポトリと落ちる雫を眺める。
先輩もよろしければ、どうぞ。
那々珂が用意してくれたカップに珈琲を注いで。
お砂糖、いくつ入れます?
ふたつ。
カップを受け取って、ふぅ、といきを吹きかける。飲めるようになるにはしばらく時間がかかりそうだ。手持ち無沙汰そうに目を上げると、カップを傾ける赤坂の姿。
え…、アマヤくん、……もしかして、ブラックで飲んでる?
自分には熱すぎる珈琲を平気で楽しむ彼に、目を白黒させて。
驚いたような表情。何となく、勝ち誇ったように。
ふふ、大人でしょう。
笑って見せる。
生意気。
右手の握りこぶしをぐりぐりと彼のこめかみに。冗談だってわかるように、口元は笑顔で。
心地よいほどのその痛みに、ふたり目を合わせ、笑う。
こんな穏やかな時間は久しぶりだ。珈琲の香りは平穏を運んでくる。
逃げ出すために、から……『彼女に会う為に』
ここに来る目的が、その様に変わるのに、そう時間はかからなかった。
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うとうとしていたらしい。彼女の夢を、見た。
家を飛び出して何年になるだろう、と考えて、
……そういえば時の「巡り」は、他の人には認識できないのだった事を思い出す。
という事は。まだ二年──いや、三年、になるか。
大した時間じゃ、ないな、などと思う。
何度も時間を繰り返した僕にとっては
もう10年も前のように感じるのだけれど。
両親と…、兄たちの顔を見るのは、気が重い。
僕の居た学園は全寮制で。短い夏休みと新年にだけ、家へと帰る。
その度に、今みたいな気持ちになったものだった。帰りたくない。
──全然、進歩していないな、と苦笑する。
首にかけたお守りを無意識に右手で弄んでいた。
逃げ出したい、先延ばしにしたい、このまま立ち止まっていたい。
そんな気持ちを奮い立たせる。
立ち止まっていた彼を……ビリーさんを一方的に責めたこの口が、何を言い出すのか。
僕も進まないと、いけない。
彼は、大丈夫だろうか。……家族との時間を、過ごしているだろうか。
乗合馬車はごとごとと音を立てて、北へと向かう。
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いつしか、再び夢の中へ、記憶の中へと。
赤坂先輩は、……帰らないんですか?
夏休み。憂鬱な気持ちを抱えたまま。
羨ましいな、と、口の中で小さく呟いた。
私には、帰る場所が無いからね。
あっけらかんと、微笑んで。
ここが、家みたいなものなの。
僕には帰る場所があるだけ、幸せって事ですかね。 対する僕は唇を尖らせて。
正義と同じように、幸せも簡単に定義づけられるものじゃないわね。きっと。
……あなたは、自分の中に、胸を張れる幸せのヴィジョンがあるのかしら? アマヤくん。
私には、まだ無いなぁ。
だから。あなたの事、私よりも幸せだ、なんて思えない。
幸せのヴィジョン、ですか。
時々夢に見る。仲睦まじい家族の姿とか。
それじゃあ、僕もあなたも、幸せからは随分と遠く感じる。
だけど、アマヤくんはさ。
人の幸せを、奪ったり、壊したいと思ったり、無さそうで。
そういうトコ、いいなぁって思うのよ。
どちらかというと、そういうものを護ろうとするタイプっていうか。
──先輩は僕を買いかぶりすぎですね。 …僕は、自分がそれを手に入れるのを、諦めてるだけですよ。僕は力を持たないから。 そういう衝動……欲と言われるものを醜いと忌避する事、それは停滞と同義でもある。 もっと上へと、もっと強くと、がむしゃらになれることは才能であるし……
……つまり、僕には魔法の才能が無いって事ですよ。
休暇だというのに山の様に持たされた宿題の束を示して嘆息。
これをこなす事で、僕の中に存在しない強さの欠片みたいなものが生まれるとは思えない。
仮に何とか魔法が操れるようになったとしても……。
罪もない魔物を殺して、殺して、殺して、それで成績を稼ぐなんて。
望んではいないのだ。
抵抗できぬ弱い魔物をわざわざ探し、
嬉々として殺す兄の姿が瞼の裏に浮かんで思わず眉をひそめた。
父の期待に応えるため、自分の実力を過大に見せねばならない。結果を残さねばならない。
そんな虚栄心だけの為に、いたずらに生命が奪われていい訳がない。
(そして彼らは、彼らの正義から外れてしまった落ちこぼれである僕を、
「排除して良いもの」として虐げるのだ。魔物に対するのと同じように)
魔法にも、いろいろあるでしょう?
誰かを攻撃する為じゃない魔法。誰かを癒やしたり守ったりする魔法。
治癒の魔法の多くは、
神様の奇跡を分けてもらったり、精霊に働きかけたりするものだけど…
黒魔法と同じ、法則と数字で表せる、そんな白の魔法もあるんだって。
アマヤくんに向いてるんじゃないかな。
──僕、に…。
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馬車の揺れが変わる。悪路から石畳へ。
街が近づいてきたのだろう。美しく舗装された道は流石ヴァルトリエ帝国だ。
建築の事は詳しくないけれど、建物や、街の作りなど、他の国に比べると最新の技術が使われている気がする。
スタークを拔けて、僕の故郷、ノイゼントルムへと。
膝にかけていた毛布を、肩にかけなおして体をくるむ。
ここからまだ、ぐっと冷え込むのだ。
乗合馬車は狭く、隣の人と肩が触れ合うほどだけど、今はその方が暖かくて有難い。
猫背を、更に丸めて、目を閉じた。
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僕の学園で教える魔法は「黒魔術」と呼ばれる。
一定の法則を持ち、数式で書き表せるのだ。
術者の生まれ持った魔力のうち、特定の事象に作用する性質を持つものを「魔素」と呼ぶ。
炎の魔法使いは大気に作用し炎を生み出す魔素を持ち、
……その魔素は氷を生み出すことはない。
強力な魔素を、数多く持って生まれた僕の父の様な才能あふれる魔術師もいれば、
そもそも魔素を持たぬ者や、
多くの魔素を持っていても個々のもつ魔力が弱く、使い物にならない者もいる。
僕の中に、「人を癒やすための」魔素が存在したのは、大きな喜びだった。神の奇跡を法則化したかの様な、人の手が扱える奇跡。白き魔法。
それ以来、僕は図書館に入り浸って白き魔法に関する本を読み漁った。 彼女の前でそれを披露しては、彼女の笑顔と拍手を貰って。
いつしか砂糖を入れない珈琲にも慣れた。
時には僕が彼女に珈琲を淹れたりもした。
カップを傾けてひとくち、その後ウインクして親指を立てて見せる彼女の仕草に、
僕はそれは誇らしい気持ちになったものだった。
……ああ、あの時が、間違いなく僕の人生の中で一番幸せな時間だった。
だけど、その均衡はすぐに崩れてしまう。 学園で起こった大きな事故が、全てを変えてしまったんだ
学園の象徴である魔石。そうだ、いつか彼女が聞かせてくれた、学園に眠る悪しき魔石。
欲に駆られた教師がひとり、その膨大な魔力を手に入れようとしたという。
力は暴走し、学園を飲み込まんと暴れまわって。
──それを、止めたのが彼女。赤坂先輩。
彼女は力を解き放ち、その少女の姿は金色の竜へと変化した。
朱く光る稲妻が魔石の力を打ち消して。学園は救われた。
めでたしめでたし、で、話が終われば良かったんだ。
先生たちが大慌てで、姿を変えた先輩を取り囲んだ。
「結界を!」
「首輪は…何処だ?」
魔法陣から伸びた銀の光が、彼女の大きな身体にぐるぐると巻き付いて。
締め付けられたその口から、背筋が凍りつくような、恐ろしい咆哮を聞いた。
学園を支える強大な魔力に匹敵する存在。「人ならざるもの」の存在。
それは学園に衝撃を与えた。
学園長からの説明では、彼女は東方に伝わる古の竜の最後の生き残り。
姿と魔力と、人に仇為す獣性を封じるために、代々、学園で保護してきたのだそうだ。
人の元で共に生きるために、彼女は本来持つ強大な力を手放したのだ。
イラスト:かげつき
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びっくりしちゃったでしょう。 いつもの笑顔に、少し困ったような色を滲ませて。 ごめんね。……どうしても、言い出せなくて。
この、首輪、ね。
私の力を封じるためのもの。
見たでしょう?
本当の私の姿は、目に見えるもの全てを壊さずにはいられない、そんな衝動だけの生き物で。
そんな私に、理性や、知識を与えてくれたこの学園には、感謝しているわ。
──どうして、それを、甘んじて受け入れているんです?
納得いかない。
……人間の……僕達の都合で、本来の姿を封じるなんて。
勝手な正義を押し付けられて、望まぬ道を歩く事を強要される。
僕がそうやって流されて来たのは、それに逆らう力も持たぬからで。
幸せのビジョンが無い。そうあなたは語っていたけれど……
それはこうやって僕達が、あなたの本来の生き方を、奪っているからじゃ、無いんでしょうか。
あなたの力なら、貴方を縛るすべてを。
撥ね退けることが出来るんじゃ、ないんですか?
この時
僕の持たぬ「力」というものを持つ彼女に嫉妬していなかったか? と
そう問われれば、恐らく否定は出来ない。
彼女が抱いていた秘密を共有出来なかったことへの、疎外感と、
──打ち明けてさえくれなかった事への。……多分、無力感と。
根本的に違う生き物であるという事実への……畏れ。
そして、彼女にとって僕は何でもなかった。
(僕はこんなに。彼女の事を。なのに彼女にとっての僕は)
……そんなうじうじといじけた心と。
どれひとつとっても、否定なんて出来ない。
アマヤくんは、いい人ねぇ。
だからそんな風に言われるのは。 ……ただ、首を横に振った。
獣のままで、生きていたら……幸せだったのかしらね。
それは私には、分からない。
──どちらにせよ、仮定の話で意味なんて無いわ。
今ここにいる、それが私なのだから。
いまここにいる。
……僕には、今の自分が「僕」であるとは思いたくない。
流されて、追いやられて、成り行きのまま押し込められたこの檻の中で。
そこからまだ逃げ込んだこの裏庭で。
彼女の前ですら、ひどく汚く惨めな感情で満たされた今の僕。
僕は僕に胸を張る事なんて、出来ないって、そう思った。
そんなワケで、自然と足はあの場所から遠のいて。
幸い、逃げ出す必要は少なくなっていた。
その時には、学友の憂さ晴らしの対象は僕では無くなっていたから。
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強大な魔力への恐れ、特別扱いへの…彼女の強さへの妬み。
自分たちと違う存在への差別。
自分たちの決めたルールから外れた者への……制裁。
恐怖は伝播し、勝手な憶測はいつしか真実として語られ。
黒い感情は正義の名のもとに正当化され、彼女は魔物と罵られて。
いつもの魔物討伐の学年合同実戦。
どちらが多く魔の者を屠れるか?
繰り返される殺戮が、血が、断末魔が彼らの熱を上げていく。
「そこにも魔物が居るじゃないか!」
そう言ったのは一体誰だったのだろうか。
級友に囲まれる彼女。彼女へと向けられる魔法の刃。
その輪は明確な悪意を持って、彼女に迫る。
──その時、僕は、何をしていたかって?
ただ、それを、見て、見ぬ振りをしたんだよ。
傍から見ているだけで、叫び声の度に場の温度が上がる様だった。 火の付いた狂気が燃え上がる。怖い。怖くて、足が震える。 人の感情は、こんなにも暴力的になれるのか。恐ろしくて。僕は一歩、後ずさって。
そんな僕を見て彼女は、……確かに、僕へ何か言葉を投げかけたんだ。
「アマヤくん……、─── 」
喧騒で聞こえなかった。それを理由に目を逸らし、もう一歩、足を引いた。
誰かが僕の肩にぶつかった。彼女の元へと向かう誰かの手には武器が握られていて。
よろめいた拍子にまた誰かにぶつかって。
あとはもう揉まれるように、転がるように、熱を帯びる宴から逃げ出した。
だって、彼女はあんなに、強かったし。平気だと思った。 軍隊だって退けてしまうだろう、あんなに強くて、輝いていて。
まさか、どうして、ただの学生の魔法に、生命を落とすなんて。
「 自分の心の中の弱き心を、射てくれるのよ 」
あんなに強かったし。
仕方なかった。僕は怖かった。
狂ったように叫ぶ級友も、生命を物みたいに封じる先生も。
──あんなに強大な力を持つ彼女も。
「 幸せのヴィジョンがあるのかしら? アマヤくん。 ……私には、まだ無いなぁ 」
嗚呼分かっている。頭の中で繰り返し聞こえるこれが。
彼女の本当の心が。
僕には分かっていた筈じゃなかったか。見えていた筈じゃなかったか。
「 私の中の弱い心を、いつかやっつけてくれるの 」
天駆ける矢。僕の名に、逆らって。 彼女の寂しさを踏みつけて。 僕はどうしようもない僕を守るためだけに逃げ出した。
「 アマヤくん……、たすけて 」
聞こえなかったはずの声が、繰り返し聞こえる。
「 たすけて 」
ああ、あの声が、俺の天の矢だ。今でも弱い僕を責め続ける。 白の魔法を覚えたって、何一つ護れないのだと。 おなじだった。僕の嫌いな彼らと同じだった彼女の拍手と笑顔が欲しかっただけの、虚栄の為だけの。
「 たすけて 」
弱い心をやっつけてくれるのなら、アルトスク。
────どうして僕を。あの時。
僕の存在ごと射抜いてくれなかったんだ
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その後は……何度か誰かに話しただろうか。
学園を飛び出して、家族からも離れたくて、自分自身から逃げ出して。
行く宛もなく彷徨っていたところに天野さんに出会った。
なし崩し的に冒険者へと登録して。
それでは…
こちらに名前の記載をお願いします。
なまえ……名前は……
本名だったらすぐに両親に見つかってしまう。
そんな風に思って、思いついた名前がこれだ。
「赤坂 天矢」
彼女の名を。アマヤの名を名乗るなんて。
そんな風にも思ったけれど。
戒めのつもりだったのか。自虐でもしたかったのか。
……いつか胸を張れるように、との願いを込めたかったのか。
今となってはその時の心境は思い出せないけれど。
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ノイゼントルムはみぞれ混じりのぐずついた空。通りを歩くと石畳特有の乾いた音がコツコツと響く。
久々にくぐろうとする玄関の大きな門は相変わらず他を寄せ付けぬ威圧的な雰囲気で。
青く輝くお守りを握りしめるけれど、当然両親の態度を変えさせるような効果は無い。
聞き慣れた…しかし随分久しぶりの怒鳴り声に懐かしさすら感じる。
突然の行方不明の後、どこの物とも知れぬ有象無象が集まる冒険者ギルドなどに所属なんて。
動向を把握していなかったとでも思っていたのか。
わが家の名に泥を。恥さらし。 もう二度と関わるな。戻ってくるな。
だいたい予想していた通りの言葉。
そうだ。これで変わるのは僕の方だ。 どうか勇気を。
育ててもらった恩に感謝を。不義理と不出来に謝罪を告げて。 深く頭を下げる。いつもの拳が振るわれないのが、ひとつだけ予想外だったけれど。
そうして、大きな音を立てて閉じられた門を背にして、ひとり、歩く。 手は、震えていたけれど、それでも足取りは軽いものだった。
これまで変えられなかった事を、仕方ない、で済ませてきたけれど、
仕方ない事なんて何も無かった。
あの時彼女から逃げ出したのも、……まぎれもない。僕が選んだ道だった。
立ち向かえた、筈だったのだ。
それを思い知るのはまだまだ、怖い、けれど。
ひとまず、これで、一歩だけ。
逃げ出したのではなく、追いやられたのではなく、成り行きでもない、
多分、はじめての自分の一歩。
今の僕は、彼女に何かしてあげられる程度には ……変われたのだろうか。
ねぇ、どう思う? アルトスク。
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アマヤくんはさ。 人の幸せを、奪ったり、壊したいと思ったり、無さそうで。 そういうトコ、いいなぁって思うのよ。
「 アマヤくん……、ありがとう 」
あなたに出逢わなければ、きっと私、彼らのこと。世界のこと。壊したいって思ってた。
私は理性を手に入れて。人という存在に惹かれて。
だけどどこまでも人とは違う存在で。
世界から弾かれて、受け入れられなくて、寂しくて、悲しくて。
最期には愛するものを憎んだまま、獣として死んでいくのだと、そう思ってた。
今……穏やかな気持でいられるのは、あなたのおかげ。
あなたが私の弱い心を射抜いてくれたんだわ。ねぇ私の天駆ける矢、アルトスク。
人を滅ぼす私ではなく、あなたと同じ、人として最期を迎えることが出来て。
目を閉じる少女に、無数の「正義」が突き刺さる。 倒れ行く彼女は微笑んで、……まるで胸を張るようにして。