楽器を掻き抱く男
第四期:過去から重ねたもの
忘れられた彼の過去に、アノチェセルの心は揺れる。
アノチェセルがいつものように孤児院で家事をしていると玄関のドアの呼び鈴が鳴った。
「この孤児院に腕のいい吟遊詩人がいるんだろ?ちょっと仕事を依頼したいんだ」
結婚式の余興を演奏する楽師を集めているらしい。
街娘と若者が教会で式を挙げ、街中をパレードのようにお披露目する。
さして格式高いものではない。
アノチェセルはもちろん二つ返事で了承した。
やぁ、お疲れ様。いい式だったね。
俺たちの歌で、二人の若者の前途に花を添えられて、良かった。見た目30代後半だろうか。共に演奏した吟遊詩人のひとりが、声をかける。
お嬢さんの歌も素晴らしかったよ。心からの祝福が、込められているような歌だった。
きっとふたりの心に、いつまでも残る事だろうよ。
いつか、テルプの過去を辿る旅。
赤坂とフェリクス、そしてアルバが、砂漠に近い街でであった吟遊詩人だ。
アルバから、「吟遊詩人の妹がいる」と聞いてはいた筈、だったのだが…
女性らしく成長した故、であろうか、アノチェセルがその少女であるとは
気づいていない様だ。(にぶいぞ)
あ…!
お、お疲れ様…です!
えへへ、ありがとう!
ほ、本当に、幸せそうな二人で、わ、私まで嬉しくなっちゃっただけなんだ…。
で、でも、ど、同業者からも、そう思ってもらえたなら、
き、きっと新郎と新婦も喜んでくれてるよね…!
えと…名前…。あ、わ、私は、アノチェセルっていいます。
慣れない人の前なので時々無理に「ですます調」が入っている
ジャグジートだ。よろしく、アノチェセル。
普段はイズレーンからマッカ辺りで流しているんだけど、
久々の大きな街で、いい仕事が出来て良かったよ。
楽隊の連中と飲みに行くって話になってるんだけど、
アティルトには詳しくなくてね。いい店案内してくれると助かるんだけど。
……んで、よかったらお嬢さんもご一緒に、そっちでもみんなで一曲、どうだい?
彼の後ろでは、共に祝い奏でた仲間たちがにこにこと手招きを
え、えと、わ、私まだ大人じゃないから飲めないけど…。
ご、ご飯の美味しいお店なら知ってる…ので。
そ、そこでよかったら…!
曲のお誘いには嬉しそうに目を輝かせる
ほ、ほんとう!?
あ、あの、え、演奏なら是非…!
わあ!嬉しいなあ…!
そう言うと、雑談等をしながら中央通り沿いへ、
あるバーハウスを紹介する
わ、私はお酒飲んだ事ないけど、ここ、ランチ美味しいし、
雰囲気も良くてね、ライブスペースもあるの。
な、何度かマスターともお話して、
いい人だって知ってるから、いいお酒も紹介してくれると思う…!
じゃ、もうしばらくご一緒、お願いするよ。
皆の自己紹介を聞きながらバーハウスに到着すると、
スペースを借りて、すぐに何名かが演奏をはじめ。
一仕事終えた後だというのに
酒で一息つくよりも、歌うことが好きな連中が多いようだ。
ジャグジートもそのうちの一人であるようで、
頼んだ酒に少し口を付けただけで、すぐに演奏を。
その後ちびちびと飲みながら何曲か披露した後
流石に疲れたのか大きく息をついて
……年かねぇ…。
まだまだ、と舞台に立つ若い詩人達を見ながら、テーブルに頬杖をつき
丁度同時に席に着いていたアノチェセルへと話しかける。
沢山の吟遊詩人と歌い演奏するのが本当に楽しいようで、
食事も孤児院での「基本残さない」という方針の下、出されたものはちゃんと食べているが
基本的に水しか飲んでいない。
自分が歌っていないときも仲間の歌と演奏に聞き入っている。
そうしているとジャグジートに話しかけられて。
そ、そんな、年っていうほどじゃ…無いと思うんだけどなあ…。
いやぁ、昔に比べて、体力がね。ついて行けなくなって来たからなぁ。
アノチェセルの楽器は、竪琴なんだな。
俺のところではあまり見かけない気がするな。
……難しいのかい?
ジャグジートの楽器はよく見る一般的なリュート。
所謂「吟遊詩人らしい楽器」を、と、形から入った結果である。
…あ、えと、この竪琴は、私に歌を教えてくれた人が、譲ってくれたものなの。
が、楽器は一通り教えてもらったから、何でもできるけど…。…この竪琴で、歌うのが好きなんだ。
え、えと、も、もしかして使った事ないのかな?よければ教える…けど。
ジャグジート…さんは、リュートなんだね。
わ、私の友達もリュート使う人多いんだ!
……呼び捨てでいいよ。まだまだ若いと思ってくれるなら、なおさらだ。
いたずらっぽく笑いながらそう言うと、アノチェセルの竪琴をしげしげと眺めながら。
何でも…できるのか…。
いや、俺も一応、色々教わったんだけどな?
お世辞にも器用とは言えない人間でね。これ一本で手一杯だ。
自分のリュートを掲げて苦笑する。
ふるふると首を振って
い、色んな楽器、触るの楽しいから…。ってだけで…。
で、でもね、この竪琴で弾いて歌うときが、一番、私って気がするの。
だ、だから、ジャグジートも、リュートで手一杯なんじゃなくて、リュートが一番合ってるんだよ…!
わ、私、ジャグジートの演奏、好きだよ!
にこ!っと笑って。
少し酒が回ってきているのか、アノチェセルの優しい言葉にむせび泣く様な仕草。 …………いい子だなぁアノチェセルは。有難うなぁ。
旅はいいぞ。色んな人間に会える。勿論詩人にも。
──君は本当に、歌が好きなんだな。
皆と歌い、曲に聴き入り、目をきらきらさせている彼女を見て嬉しそうに微笑むと、
色んな国の色んな詩人の話を聞かせてくれた。
そんな中で【見たことのない楽器もすぐに弾きこなす奴】が居るという話題に。
弓を使う楽器、あるじゃない? 音出しが難しいやつ。チェロやヴァイオリンの弓を引くような仕草をしながら
平気な顔して弾くものだから、昔からやってたと思ったら
「今日初めて触る楽器だ」なんていいやがるワケ。
俺、練習したけど結局アレ諦めたってのにさ……。
あー、異世界から流れてきたっていう、
楽器なのか何なのかよく分からない装置なんかも弾いてみせたことがあったよなぁ…。
グラスを傾けながら、思い出話の様に
わ、わあ…!すごい!
初めて触る楽器も弾けちゃうんだ…。
わ、私も初めて触る楽器は流石にそんなにすぐ弾けないなあ…。
き、きっとその人、楽器に愛されてるんだね…!
ど、どうしたらそんなに直ぐに楽器と仲良くなれるのかな…。
すっかり、その【見たことのない楽器もすぐに弾きこなす奴】に興味が向いている
仲良く、ねぇ。まぁ「仲良く」やってんだろなぁ、あれは。
俺の友人がコツみたいなのを教えて貰おうと、
どうすれば上手く弾けるんだ、なんて奴に聞いたことがあるそうなんだが。
「触れて、試して、確かめて。どこが一番イイのか探すだけ。だいたい女の子相手にするのと一緒だよ♪」
なんていいやがったそうだ。
少し高い声を作ってモノマネをしながら喋っていたが、その顔は色々な思いを含んだ苦いもので。
しかし目の前の相手が真面目そうな女の子であることを思い出して、少々しまったという表情に。
そ、そうなんだ…?
う、うんと…そ、それって…お、女の子と遊ぶってこと…だよね…。
楽器を触る事、慣れ親しむ事を女の子遊びと同じに例えられて。
先ほどまで目をきらきらさせて聞いていたのが、複雑な表情になる。
あー、すまない。
しかしまぁ、詩人の中にはそういう、チャラチャラしてのも多いから気をつけるといい。
特に今話した男は……。テルプ・シコラという奴は。
酒場で歌うと大抵誰か女の子を持って帰っちゃうような奴だから、君も気をつけて。
強めの酒を、ひとくち。
ん? あぁ、アティルトにも足を伸ばす事もあるって言ってたから、会ったことある? 何もされなかった?
『アノチェセルちゃんは守備範囲外じゃないかな。テルプはもっと遊んでるタイプの子が好きでしょ』
ステージから降りてきた詩人の一人が汗を拭きながら、ぐいと水を飲み。
あ、あの…わ、わたし…テルプと…つ、つき…
「テルプと付き合っている」と言おうとすると「守備範囲外」という言葉がぐさりと彼女の胸に突き刺さる。
しゅび…はんいがい…。
むねが…ないから…?
そんなことは言ってない!
あまりのショックで喉からでかかった「付き合っている」という言葉が飲み込まれてしまった。
イラスト:かげつき
ああ、うん、俺は、奴が子供の時の知り合いで、こないだ……10年振りくらいに久し振りに再会したんだ。
流石に俺の知ってる頃はそういう遊びは……してなかったんじゃないかな、と思う。思いたい。
10歳そこらの頃のテルプを思い出しつつ、願うように声を絞り出す。
…最近の事はこいつらの方が詳しいかな。仲間の方を振り返る。
指された詩人はジャグジートの横に腰掛けて
『んー、男ばっかで集まると、打ち上げで「そういう」店にー、ってなったりするじゃん?』
ジャグジートに咎めるような目を向けられて、じゃあどう説明すればいいんだよ、という抗議の表情を返す。
『まぁそんな時もさ、いつの間にかひとりだけ、ふつーの女の子ゲットしてんのな。かわいい子を』
『そそ、「みんなお先ー♪」ってな』
『あいつ酒場とかで定職に就かないの、何でか知ってる? 後腐れ無く遊びたいからだって』
『そんな男前って感じでも無いのにな。やっぱ話術? 催眠術系?』
口々に、事実と憶測が混じった言葉が好き勝手に飛び交って
ジャグジート、こ、子供のときのテルプを知ってるんだ…?
そ、そっか、どんな子だったんだろ…。
そういうお店…。
そ、そっか、そうだよね…わ、私みたいに、何も知らないなんてこと、ないよね…。
いっぱい、経験してるから…あんなに…。
あぁ、テルプと知り合い? ──楽しい歌を歌う奴だよね。
相手の激しい動揺を、普段であれば見逃さない筈なのだが
演奏の音量のせいか、或いは酔いのせいなのか。
俺は、テルプがほんとに子供の時だけ、だけど、同じ街に住んでたんだ。
──彼が…友達を変えてからは、
残念ながら疎遠になっちゃってよく知らないんだけど。
初めて出会った頃は…、ま、素朴な子だったなぁ。
いかにも田舎から出てきましたー!って感じで。
きょろきょろしてて、何でも珍しがって、じっとしている事が少ない奴だった。
そんな落ち着きの無い奴が、いざ歌をうたったらホント、プロ顔負けって感じで
俺はすごく自信をなくしたんだよなぁ…。
当時を思い出すようにしみじみと目を閉じている。
疎遠になってからは、…何ていうか、街に馴染んで…。随分冷たい雰囲気だったけど
その時の彼よりも、今のテルプの方がずっと、初めて会った子供の頃に近い感じだなぁ。
歌も、ね。俺の好きなままの歌だった、から、再会出来て良かった。
子供の頃のテルプの話にほんの少しだけ顔色が明るくなる
そ、そっか…。
歌、楽しいんだね…。
ふ、雰囲気変わったんだね…。
よ、よかった…。
ジャグジートは…歌…すき?
う、歌が、好きなら、大丈夫…。
私、ジャグジートの歌も好きだよ?
ショックを受けて動揺しているというのに、彼女は励ましている
一生懸命励ましてくれるアノチェセルに顔を上げて。
──はは、ありがとな。そう、あいつにも同じ事、言われたよ。
「歌が好きなら大丈夫」と思える事、そこが一番の才能なんだよなぁ。なんて、口には出さずに思いながら。微笑んだ。
彼が子供の時のテルプを知っているというのに…。
その話を聞きたいのに、彼女の耳は勝手に周りの詩人達が話すテルプの女性遍歴を聞き取っている。
あの…さ、さいきんって…いつぐらいの、こと…?つい最近…なの?
グラスを持つ手が微かに震えている
最近……、って、お前らテルプとはどのくらい長いの?
周囲の詩人に話を振る。
『俺がテルプに会ったの? もう5年くらい前だけど、その頃からずっと今の感じだよ。あちこちフラフラしてる。──んで、この間、冒険者?とかいうのに登録したらしいんだけど、それでやっと住所不定無職から卒業した感じだよな』
『そんで、ちょっとは落ち着いたのか?』
『いーや、全然。去年あたりはまだ酒場で綺麗なねーちゃん口説いてる感じだったけど?』
世界のループを認識出来ない彼らにとっての「去年」と、アノチェセルの認識する「去年」とのズレに、ショックを受けているアノチェさんが気付けるのかは定かではない…。
去年…。
663年…。
(あ…でも…ループしてるから…この人たちがそれを認識してるかわからない…。それでも…私に会う直前までは…)
あ、ありがとう…お話…してくれて。
ジャクジート…あのね…わ、私…。
テルプと…付き合ってるんだ…。
さ、さっきまで、言えなくて、ごめんね。
あ、あの、私、そろそろ、行くね。
い、一緒に演奏してくれて、ありがとう…。
ま、また会えたら、よろしくね。
そう言って、飲食代のお金をテーブルに置くと立ち去ろうと…。
そうかそうか、アノチェセルはテルプと付き合って……。
え?
言葉の意味を理解するのに数秒を要す。
な、ん、……あ?
いや、あいつが特定のひとりと、とか。
ありえないだろ、と続けかけて。
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偶数→ 奴に騙されてないか気をつけたほうがいい!
奇数→ (1)奴もついに本気になったのか…(ということを伝えそびれる)
(3)奴がついに本気になったという事だと思う
アノチェセル、正直彼は…、あまり真面目に交際する相手に適してはいないんじゃないかと…。
言葉を選びつつ
君はその、純粋そうだし、何というか、騙されやすそう、というと失礼にあたるだろうが、
彼は口が上手いから、君が騙されてやしないかと、少々心配している。
勿論君がそういう…、青春時代を軽く楽しみたいというのならば別なのだが。
本気なんだったら、くれぐれもよく考えて、気をつけてくれよ?
調子のいい言葉を、鵜呑みに、しないように…。
テルプの、最も素行の悪い時期を目にしている男の、心配ゆえの注意喚起ではあるが、
正直今の彼女に追い打ちをかけている感が。否めない。
あぁ、お代は、構わないよ。殆ど食べてないじゃないか。
……何か、すまない。その、今度は最後まで楽しく、歌おうじゃないか。なぁ?
取り繕うように話すジャグジートの声が、アノチェセルを見送る形となるだろう…。
いつもなら「今の彼を信じている」と胸を張っていえるはずなのに。
この時ばかりはジャグジートの言葉が胸に突き刺さる。
わ、私ね…テルプの昔、何も知らないの。
ほ、本人が忘れちゃってるんだもの、仕方ないんだ。
で、でもね、それでも、それごと受け入れて、好きなんだよ…!
なのに…。
…なんでだろうね…今、頭ごしゃごしゃだね…。
えへへ、そ、そうだね!
わ、私なんも知らないもんね…!騙されやすい…かあ…!そう…だね…。
ごめん…ね。
そうにっこりと笑う顔は、無理やり作った、張り付いた笑顔で。
ううん、その、お金は、置いて行くよ。
ま、またいいお仕事、いっぱいしようね…!そ、それじゃ!
背中を向けた瞬間に震えていたが、この出来上がった雰囲気で、それに気付いたものはいたのか定かではない。