嘘と幻と真実と
第四期:暴かれる嘘
深い記憶の底からすくい上げた真実を。
取り敢えず、と連れて来られたそこは、テルプの生家だという。
こんなに、ちっちゃかったんだなぁ…。狭い入り口をくぐって、しみじみと、あるいは呆然と。
適当に座ってよ。
そう言いながら、荷物の中から毛布のようなマントのような布をアノチェに渡す。敷物代わりに、という事らしい。
……その壁の字は、かーちゃんが字を練習した跡。 紙も何も無いから、そこらにある壁とか敷物とか全部汚しちゃって、 俺っち慌ててこれ送ったんだった。 床に落ちた黒板を拾い上げた。砂だらけで使い物にならなさそうだ。
そのまま、砂が剥き出しの床に座り込むと、少し姿勢を正して楽器を手に取る。 弦をひとつだけ、弾くと、テルプはぽつりぽつりと語り始めた。
『むかしむかし、この村に、ひとりの少年が住んでいました』
それは詩人が皆に物語を聴かせる様な姿で。
『少年の生まれた村は、とても貧しい村でした。』
物語の様な、三人称。自分の事として語るのは、未だ躊躇があるのだろうか。
『身体の弱い母親から生まれた、やはり身体の丈夫でない少年は、生活の苦しい村にとって、厄介者だったのです。
しかし少年はあまり頭が良い方ではなかったので……そんな簡単な事にも気が付かずに。
ただ母親の優しい嘘を……
自分の歌が皆を幸せにするんだと、そんな嘘を信じて、大きくなったのです』
ポロンと、弦を弾くと、にこにこと笑う少年の姿が狭い空間に浮かび上がった。
『彼の歌は、強い魔力を持つものでした。
「神様と約束した」この村の民は 多かれ少なかれ多少の魔力を持っていたようなのですが、……魔術に長けた人間が言うには、彼はその中でも上手く魔力を引き出すことが出来るのだと。「うた」が、この村の神様からもらった魔力を引き出す呪文としての役割を果たしているのだろう、との事でした。その村の神様は、歌が大好きだったから。
彼の歌は村人の疲れを癒し、体の痛みを消すことが出来ました。疲れた村の人々は、彼らの仕事中に、あるいは仕事の後に、彼の歌を聞きたがりました。歌うことで、その魔法の力で、役立たずだった彼も少しは村の役に立てるのだ。彼の母親の嘘は、次第に真実になったのです。
母親は、少年に沢山の嘘を教えました。笑顔でいれば、どんな事も、何もかも乗り越えられるのだと、少年にそう言い聞かせて。
母親は少年が笑顔でいれば喜んでくれたから、笑ってくれたから。少年は、母親の嘘を疑わなかった。母が笑ってくれる、それだけで幸せだ、と、そう思っていたのです』
『ある日。
少年の父親が村の掟を破って、村を出ました。母の病気を治すために、町へ薬を買いに行くのだ、と言い残して。母はそれを信じ、彼の無事を祈りました。少年も母親の言葉を信じて、共に祈りの歌を歌いました。
後から思えば、それはおそらく母親が、彼女自身に言い聞かせていた嘘だったのだろうけれど』
…
『彼ら役立たずの親子へ、村人の反感は強くなる一方でした。少年はひたすら歌を歌い続けました。彼の歌は村人の疲れを、空腹を、……紛らわせるだけの、嘘でしか無かったのですが、……歌う事でしか、この村に、自分の居場所を作る方法を知らなかったのです。
それがなければ、自分はこの村に不要な存在である事くらいは、以前より少し大きくなった少年には分かるようになっていたから。
例え幻でも。
村の皆が、自分の歌を必要としてくれる事は嬉しかったし、……幸せでした』
母の姿が、幻が、ぼんやりと、映る。 寝床の上に上半身だけ起こして、少年の笑顔につられるように笑った。 少年が笑顔でいることが、何より嬉しいようだった。
『そんな村に…そう、あの大飢饉の年でした。
ずっと村に食糧を持ってきてくれていた一族が…。トトの民と呼ばれる戦いの一族が。ついに食糧の供給を止めてしまったのです。砂と岩山ばかりのこの土地で、どこも自分の一族が生きていくだけで精一杯でした』
『ただ餓死するのを待つだけのこの村に……ひとりの吟遊詩人がやってきたのでした。それが、俺の…少年の、師匠となる人』
少年が、物静かそうな金髪の青年ににこにこと笑いかける。
「ネダ」と名乗ったその男は、少年の歌を聴いて驚いたような素振りを。
『吟遊詩人は少年の歌にちからを見出して、彼を村から<買った>のでした。
役立たずの少年と引き換えに、村は生きる糧を手に入れました。
皆、彼の旅立ちを喜びました。厄介払い出来る上に村は救われるのですから。
少年は相変わらずの愚かさで、自分が売られたことも分からぬまま。
村の掟を破ってまで自分を送り出してくれた村人たちに感謝しました。
彼らが自分の未来を皆が祝福してくれているのだと、信じて疑わなかった』
『吟遊詩人は少年に歌を、読み書きを、そして世の中の仕組みを教えてくれて、……少年は自分の歌を欲しがってくれた彼に、それはそれは感謝しました。誰も、本当は彼の歌なんて必要としていなかった、それに何処かで気が付いていたんだ、彼は。
嘘と幻しか無い、生きる糧を何ももたらさない彼を。師匠は求めてくれた。師匠だけは自分を求めてくれた。それが、嬉しかったのです』
『村を出て山を降りて、町でいろんな事を学ぶうちに…、彼は少しづつ、自分が限りなく無知であった事に気付きはじめてしまうのです。自分の信じていた物が、嘘ばかりであった事に。
いつも食糧を持ってきてくれたトトの民は、本当は、僅かな食糧と引き換えに、割の合わぬ程の「宝物」を持ちだしていた事。村の人々はロクに食うものも喰わずに、彼らに過酷な労働を強いられていたこと。
母の薬を買いに行く為に村を出た、と聞かされていた父親が、町で別の家族を持って、幸せそうに暮らしていた事。自分と母親の事を、……疎ましいと思っていたこと。
皆の贈り物である石のネックレスに込められた思いは、…祝福や愛情などではない。ただ厄介払い出来た喜びであったのだろう事』
『それでも、彼は嘘が好きでした。村のみんなを信じていた頃のあの喜びは本物であったと、そう思っていたのです。嘘も幻も、確かに幸せを生み出すことが出来る。そう信じていたのです。
だって彼の歌もまた、嘘でしかなかったから。嘘を否定してしまえば、自分には本当に何も無くなってしまうから。その時の彼は、ずっと、そんな風に思ってたんだ』
曲にすらならぬ緩慢さで弦を弾いて。 少し疲れたように、息を吐いた。
テルプ…。
自分が、これを無くしては「自分」で居られなくなると、守り続けていたものが、
彼にとっては「嘘」であったことを知る。
…わ、私…ひどいことを…。
て、テルプにとって、守ってきたものを、わ、私、否定しようとしてた…。
ごめん…なさい…。
俯いてしまいそうなのをぶんぶんと首を振って、きっ!と前を向くと
明らかに疲れた顔をしている彼に水を差し出す。
て、テルプ、喉、渇くでしょう?
お水…。
ノチェは……一度だって、俺を否定なんてしてないよ。
嘘は、真実の上に作られる。
その根底が無ければそもそも生まれなかったもの、だと思う。
君はその底まで、会いに来てくれただけ。
俺を、……欲しいって、そう思ってくれた。それだけ。
……それに。
やっぱり、嘘は。嘘でしかない。
何処を見るともなく目を上げて。
ここが俺の、真実だ……。
貴重な水を受け取って、ひとくち口に含む。
しばらく、転がすように口の中を潤して。
ありがと。
静かに笑って、水の入った皮袋を返すと、再び弦を弾く。
ぽーん、と、静かな音。
『彼の歌は誰かを幸せにする歌だった。嘘も幻も、それを求める人がいる。
……そう、それを欲する人がいる。自分と同じ様に。そして母親が。それで喜んでくれる。彼にとって歌は、そういうものでした。
だけど、彼は、気が付いてしまったのです。自分の歌が、他人を幸にも不幸にも出来ること。彼の師は、その方法を教えてくれた。人の心を操る。それは使い方によっては万能のちからでした』
『さて、彼は少ない頭で考えました。
貧しくて苦しい村の暮らしが、あの悲しみを生み出していたのだから、村が富み、暮らしが楽になればきっと、みんなも自分も本当に幸せになれるのだと。
彼は、嘘や幻ではない幸せを作りたいと、ずっとそう思ってました。何か、確かなものが欲しかったのでしょう。きっと。形のある幸せを生み出して、それで。……自分が必要だと、言って欲しかった』
『そうして。村の、自分の、幸せのために。たくさんの人を不幸に巻き込んだ。
富を得るために、人を騙したり、狂わせたり、争わせたり。それらはすべて、誰かが幸福を願う、その想いを利用し踏みにじるようなものでした。
その歌はとっくに、母の褒めてくれた歌ではなくなっていたのでしょうけれど、……確かに、「誰かを幸せに」──自分自身を、幸せにするため、ではあったのでした。
自分の幸せの為にたくさんの人を踏みつけて、その上に立って良いのだと。だって誰もがそうだった。自分と母を捨てた父も、自分を売った村のみんなも。幸福は誰かの不幸の上にあるものなのだと。彼は強く信じていたんだ。
誰かの不幸を積み重ね、積み重ねて、そうすればもっとずっと高いところに行けるのだと』
『村のみんなは喜んでくれました。村に戻るといつだって、彼と彼の師を歓迎してくれました。やっと彼は自分の居場所を、手に入れたのでした。
しかし、彼は満足しなかった。もっと上へ、もっと富を。そうすればもっと幸せに。彼は町で様々な、贅沢で綺羅びやかな世界を見てきましたから。その欲望はもう、止めることが出来なくなっていたのです』
『彼は、自分の村に眠っているという神様の宝物に目を付けました。むかしむかし、神様と交わしたという約束を破って
、神様の国への入り口を、深く深く掘り進めることにしたのです。
当然、村のみんなは反対しました。村の掟というのは彼らの中に深く根付いていて、神様は恐れの対象でしたから。
だけど、少年は神様なんて恐れていなかった。貧しい村を助けようとしなかった神様の事なんて信じてなかった。歌の力を、万能の力を、過信してしまっていたのです。
そして、ついに目的すらも、見失ってしまった』
『彼の歌は催眠術。村人を操って、神様を裏切らせたのです。誰もが持つささやかな望みを利用して、果てなき欲望へと増幅させて。神様から宝物を奪うために、村全体に、魔法をかけたのでした。幸せにしたかった筈の村の皆を、自分の歌で狂わせて。
──そして、それが神様の怒りに触れたのです』
『彼が駆けつけた時には、この村に、生きている者は誰一人、いませんでした。鉱山の奥から湧き出た毒の霧が、この村の惨状の原因、だったそうです』
『……幸せにしたかった筈の。 本当はただひとり、幸せにしたかった筈の母親の前で。彼はやっと、母の優しい嘘に気が付いたのでした』
『自分の歌は誰かを幸せにする歌では無いのだと』
『その時の彼に残されていたものは、母の、笑顔の魔法 だけだった。どんな事でも乗り越えられる、彼女の教えてくれた魔法だったのですが、……その時の彼はどうしても、ただひとつ自分の中に残された希望であった、縋り付きたかった【笑顔】さえも。作ることが出来なかったのです。』
『
どうしたらいいかな。どうやって、笑うんだったかな。
空っぽの頭で考えて。……彼は自分自身に向けて歌を歌いました。そうして、悲しいことは全部見えないように。
自分の歌は誰かを幸せにする歌なのだと信じるために。
歌が、好きで好きでたまらなかった自分を。遠い昔、何も知らなかった、…嘘しか無かった頃の自分を。自分が一番望んでいる自分を。つくりだした』
『どうせ世界に嘘しか無いならば、自分自身が幻だって同じ事だと、そう思った。 それで幸せであるのなら』
だからね、ノチェ。俺は。
歌が好きで。いつも笑顔で。君が、君が好きだと言ってくれた俺は。
何よりも、ずっと恐れていたこと。
おかした罪より、全部失くした事実より、何よりずっと怖かったこと。
ねぇ、ノチェ。
『俺は』 嘘 なのかも、しれない。
…やっと…。
やっと、辿り、つけた…。
ぽろぽろと静かに、涙を零して。
あ、貴方の「本当」に…。
やがて顔をゆがめて、溢れる思いを吐き出すように。
わ、私の、こと、ばかり、テルプは、許してくれて…。やさし、くて…。
て、テルプの、お、奥底…寂しい音…ず、ずっと、欲しかった…。
で、でも、わ、わたしじゃ、どうにも、ならないって…。
「許す」も「分け合う」も、あ、貴方すら忘れてしまった空っぽじゃ「はんぶんこ」にも出来なくて…。
そ、それでも、足掻きたくて…あ、あきらめたく、なくて…。
ず、ずっと、寂しかった……。
で、でも…。
やっと、はんぶんこ、できる…。
ノチェ…。 ノチェぇ…。
彼女の言葉に誘われるように、内側から零れる想いに顔を歪めて。
子供のように、声を上げて泣き出した。
イラスト:かげつき
ごめんな、待たせてごめんな。
俺だってずっとずっと、ずっと会いたかった…!
こんな遠くまで、来てくれてありがとうな。
俺っち何も出来てないよ。いつもノチェの方ばっか、優しくて。
わぁわぁと、大きな声で泣きながら。
ねぇ、ずっと怖かったんだ。
俺は君に、君にまで嘘を重ねているんじゃないかって。
テルプ…。
ね、テルプ、覚えてる…?デート…したとき…。
ふ、噴水に、お願い事した…よね…。
…テルプは「俺の歌が、誰かを幸せにしますように」って…お願いして…。
わ、私は「少なくともそのお願いは叶ってるよ」って…。わ、私は貴方の歌が、大好きだからって…。
わ、私が、好きになった切欠も、一番好きなのも、貴方の、声で、歌声だけれど…。
…テルプが、もし、う、歌を嫌いに、なっても、笑顔じゃ、なくても…。
もう、そんなの関係ない…ぐらい…て、てる、ぷが…。
「本当」に触れられたから…。だから、わ、私は…。
泣きじゃくって詰まる言葉を懸命に、最後まで。
愛おしいって…思う、の。
て、テルプ…。ど、どうしようもない、ぐらい、愛おしいの…。
うん、ちゃんと覚えてる。
噴水でのお願いごとも。初めてふたりで歌ったうたも、君から貰った宝石も。
確かなるもの。君と交わした約束も。指輪も、楽譜も。
ここにいる。ここにある。俺の中に確かにある。たくさんたくさんの。
たとえ俺がぜんぶ嘘だったとしても、君と重ねた時間は間違いなく真実なんだ。
しあわせ、なんだ…。
俺の歌が君に届けば、君ひとりだけ、幸せに出来ればそれで、
もうそれだけでいいって思ってた。 ──だけど、だけど…。
ね、時間がかかるかもしれないけど。
…歌うことも、笑うことも、それは嘘でも。確かに俺が望んだものだったんだ。
真実も嘘も、すべてが……君に出逢わせてくれたように、幸せをくれたように。
俺のうたが、しあわせを作れる事、──まだ信じてる。
彼女の、赦しのうたが、心の中にまだ響いている。
あとはきっと、自分が信じるだけ。
今度は俺がアノチェの場所に出て行く番だから!
ね、お願い。待ってて。
一緒に、うたおう。君が好きと言ってくれた歌。
今度はちゃんと、真実の、ほんとうのうた。
──楽しい歌じゃ、ないかもだけど。
君となら、きっと。幸せの歌になる。
彼を抱き締める。彼女も声を上げて泣いて。
うん…うん…。
そう、だよ…。ここに…あるよ…。
うん…待ってる…けど…。
…ううん、待たない。
い、一緒に、行くの。
だ、だって、やっと、「はじまり」に、二人、立てたんだもの…。
た、楽しくなくてもいいよ、く、苦しくてもいい。
あ、貴方と一緒がいい…。
テルプ…テルプ…。
嬉しい、嬉しい。
やっと、あ、貴方の、全てを、知って、言える…。
あいしてる、テルプ。
涙でぐしゃぐしゃの顔で笑って。
口付けをする。
へへ…しょっぱい…ね…。
甘くなくても、それはしあわせの味だった。
ああ、あいしてる、あいしてる。
あいしてるよぉ… ノチェ…っ
年上の余裕も体裁も何も無い、みっともない顔で。
彼女の前ではそれで良い事を、今は知っている。
格好悪く大声で、泣いて泣いて。
まるで今まで忘れてしまった涙のすべてを、流すように。
この「はじまり」に立って、歩き出せるように。
ずっと、その、寂しい音に触れることができたなら、母親のように包み込みたいと、そう思っていた。けれど。
これまで見たこと無い…彼が大声で泣く姿に、声に。
触れられた事の喜びに。
彼女も声を上げて泣いていた。
テルプ…っ。テルプ――!
なんて…なんて…愛おしいんだろうと。