砂の上に降る雨のように
第四期:暴かれる嘘
ずっと重ねてきた嘘が、暴かれる時が来る。
アノチェセルが、テルプの村に挨拶しに行くと言ったとき、一番心配してきたのはアルバだった。
とはいうものの、「行ってはいけない」という内容ではなく、
「行くならしっかり準備」という事と「砂漠を渡る時の心構え」みたいなものを説かれて。
直射日光が痛いから絶対布グルグル巻きな!あと夜はくそ寒いから防寒しっかり! なんだったら寄り添って温めて貰え。 水はちゃんとしっかり確保しとけよ、重いだろうけどマジ暑さがきついからな。
そういえばフェリクスと赤坂とで長期の旅行に行ったことがあったなどと彼女は思い出す。 そう、あの時も南に行っていたような。 帰ってきた彼は疲れきっていて、体力が自慢なのに珍しく丸一日使い物にならなかったのだ。
それから…
一通りの準備を手伝ってくれた後、アルバはどう言ったらいいのかと少し考えて…。
くしゃ、とアノチェセルの頭を撫でるとこう言った。
テルプを頼むな…。お前なら大丈夫だと思うけど、しっかり、支えてやれ。
大丈夫ですか? ふたりで、大丈夫です? ヒーラーは必要ないですか?
自分としては半分新婚旅行のような気分でもあるというのに
付いてくるなんてとんでもない!
ふざけんな、と笑顔でお断りしたが、赤坂は不満そうな顔。
心配してくれるのはありがたいけれど、空気を読め。
村には事前に手紙は出しておいた。外の世界の嫁だぞ!
皆、驚くだろう。きっと、喜んでくれるだろう。
かーちゃんはたくさん笑ってくれるだろうか。
おかみさんに頼んだベールは出来ているかなぁ。
さぁ出発だ。
きっと祭りの準備が出来ている。
ちゃんとした式はこっちであげる事になるだろうけど。
村でもちゃんと、みんなに認めてもらおう。
さぁ出発だ。何年ぶりだったろう。何年だって構わない。そう、構わない。
最近あまり聞こえないように感じていた鈴の音が、リンリンと響く。
俺は楽しくて、嬉しくて、ウキウキしてて、
……俺は、何を、恐れているのだろう。
んじゃいってきまーーーす! お土産は、体力残ってたらねー!
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二人で…こんな長い旅って初めてだね。
きつい道でも、アノチェと一緒ってだけで、きっとすごく楽しいよ。
……砂漠に入ってからは、喉が乾くから、歌は控えなきゃだけど。
……おかしなこと言うようだけど…
君の目を見て黙っているだけで、まるで二人で演奏しているような気分になるんだ。
君が見つめ返してくれるだけで、音が交じり合って俺の中にいっぱいになる。
ふたり歌う時みたいに、幸せになるんだよ。
だから、砂漠では、「心で」歌っていこう。ね。
砂漠の近くまで、乗合馬車はごとごとと揺れながら。
砂漠に入る前の最後の町で充分に準備と休息をとる。
ここからが本番なのだろう。
彼女も冒険者として幾度か砂漠を経験しているが、それを差し引いても過酷な旅で。
何処までも続く平坦な砂の風景は時の流れを遅く感じさせたし、
昼夜の極端な寒暖差は彼女の体力を奪っていく。
それでも、彼女は泣き言ひとつ言わずに、彼と時折目を合わせては笑ったのだった。
す、凄い…。こ、こんなところに、村があるの…?
茫然としていたが、やがてブンブンと首を振って。ぱちん!と気合いをいれる。
も、もうすぐテルプのお母さんに会えるんだもの!ふぁ、ふぁいと…!
シャランと鳴る鈴の音が、警告にも、応援にもとれた。
あっ ノチェ、サボテンには気をつけて!
踏んだら、大変なことになるから!
そう言うテルプは相変わらず、こんな岩場でも裸足でひょいひょいと。
ひとつひとつ、アノチェの手をとって。引き上げたり、押したり。
ところどころに生えているサボテンはえらく攻撃的な姿で。
それでもこれから水が取れるのだ、と、トゲを避け、身?を切り裂いて、
テルプは水筒に水を足す。
空気が薄くなってくると、小さなテントでこまめに休憩しながら。
「山を降りた時、呼吸のしやすさ、歌いやすさに、びっくりしたなぁ」
そんな思い出話なんかもしながら、一歩一歩、ゆっくりとだが確実に、歩を進めていく…。
やがて、鐘の音が聞こえてくる。
……大丈夫? ノチェ。
ほら、もうすぐだ。聞こえる?
しっかり手をとって、小さく歌う。
大きな岩を登り切って、見えた村の光景は、
アルバたちが見たのと同じ、
乾ききった死体が並ぶ廃墟であったのだが──。
ただいまーー!
その輪の中に駆け込んで。
いつもの笑顔で、まるで誰かがそこにいるかの様に。
ね、久し振り! みんな元気してた?
かーちゃん、……起きてて大丈夫なの?
テルプの声に呼応するように、倒れた人々から黒い影がずるりと起き上がる。 そのうちのひとつを、テルプはぎゅうと抱きしめるような仕草をした。
ね、紹介するよ!
俺っちの嫁さんになる人だよ!
アノチェ!
ほら、と、無数の黒い影の中心で、手を伸ばす。
イラスト:かげつき
黒い影が蠢く中、彼の声と鐘の音だけが不気味さを浮き上がらせて。
なぜ廃墟なのか、何故屍がこんなにも並んでいるのか、それは彼女にはわからくても。
彼が幻影に囚われている事だけは、わかった。
伸ばした手をしっかりと取って、彼の目を見つめて。
それから黒い影を見渡すように。
て、テルプ、こ、この人たちは村人さんなの?
お、おかみさん?て、テルプのおかあさん?
…そ、そっか…。
は、初めまして、わ、私、アノチェセルって言います!
て、テルプと、お、お付き合いしてます!
ぺこりとお辞儀をする。
あ、あのね、わ、私彼のことが大好きで。だ、だからずっと、此処に来たいって思ってたの。
て、テルプが生まれて、育った場所を、育て上げた人たちを、ずっと、みたいって。
だ、だから…。
……どうして、こんなことに…なってるのかな…。
廃墟と死体をみる。この損傷具合は最近ではない。どう考えても数年以上は経過している。
テルプ、みて。
ちゃんと、みて。
ほ、本当に、なにも変わりないの?
…………
こんな、んじゃ、なかったんだ。前は、もっと上手く…。
彼女を見つめる目が、どこか、縋るように。
ノチェ…、そう、君、君が、君が俺と、同じ光景を望んでくれるなら…
握りしめる手に、痛いほどの力がこもるが
……ちがう。違う、ノチェ。
首を振る。
ね、ねぇ、ノチェ、ほら。おかみさんが、ベール作ってくれたんだって。
白いレースのもいいけど、俺っちの村では、こんな、ふうに、……山羊の毛を…石で染めて。
適当に手にとった布は、端からばらばらと崩れて、
それでも無理矢理 形にしたそれをアノチェセルの目の前に。
ほ、ほら、綺麗、だろ?
ばらばらと、足元へと落ちていくそれをテルプの目が追った。
唇が、震えて。声がかすれる。のろのろと、顔を上げて彼女の顔を。
……ノチェ。
こ、これで、夫婦になれるかな?
ね、ねえ、テルプ、夫婦ってね、健やかなる時より、病める時にいかに助け合えるかが、大事、なんだって。
お、おばさんは…そう、教えてくれたよ…。
て、テルプ、はんぶんこ、しよ。
悲しい事も、辛い事も、苦しい事も、寂しいことも。
…貴方が、忘れてしまった事も。
わ、私、受け入れたい、知りたい。
だ、だから、わ、私に、教えて。
思い、だして?一緒に、積み上げて…?
ぜんぶ、許すから。
母が子を抱き締めるように、テルプを抱き締めようと手を伸ばす。
…………うん。──きれい。
目に見えるものと、見たいものと、記憶との乖離に、戸惑う様に?
理解出来ないのか、理解したくないのか、導かれるままにコテンと頭を預けた。
抱きしめられて、あたたかな彼女の体温に包まれて。
そんなふたりの耳に、鐘の音と共に、歌が聞こえてくる。
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その声の主は広場の真ん中に立ち、黒い影たちの中でひとり色彩を持って。
ふたりに気が付いた様に歌を止めて、顔を上げると。
……やっと、会えたね。アノチェセル。
アノチェセルに向かって笑った。見慣れたアホ毛かぴょこんと、揺れ。
少女を迎えて。
呆然とこちらを見るテルプへと薄く微笑んだ。
そして、……『おかえり』
その声と同時に、少年と、全ての幻は掻き消えて、 生きているものはふたりだけ。後には廃墟と鐘の音が残るのみ。
……あ、うぁ。
ふらりと、よろめいて、その場に座り込む勢いで。
テルプ!
しっかりと抱き締めて、細い体で支える。
て、テルプ、しっかりして…!
一緒に、この楽譜、埋めていくんでしょう?悲しい事も辛い事も。
つ、繋ぎ合せて、確かなものにするんでしょう?
嘘の上に嘘を重ねた幻が、崩れ去って行く。
とっくに知っていた。これが俺の現実だった。
この、何も無い、誰もいない。ここが俺の。
わたしはあなたの
雨となりましょう
求められるままに
わたしはあなたに
降り注ぎましょう
求められるままに
嘘も罪も幻も孤独も
どうかわたしに
誠も功も現も愛も
どうぞあなたに
乾いた砂に
乾いたこころに
癒しの歌が
こころの雨が
いつしか命をはぐくみ
やがて赦しの花をひとつ
小さく咲かせることでしょう
うたがきこえる。
鐘の音に、鈴の音に、重なるように。
君が側にいる。ここが俺の。
……ノチェ…。
掠れた声ながらも顔を上げて、しっかりと、アノチェセルを見た。
ごめん。ごめんね。全部……、嘘だった、みたいだ。
こんな…遠くまで、来てくれたのに。
風が吹いて、乾いた鐘の音が鳴り響く村の光景に目を走らせる。
もう村の人々の影は何処にも見当たらなくて。
そうだ、俺は、ここから、……逃げ出したんだった。
テルプ…。
はらり、布が落ちる。
…ううん…ううん…。
村の人には会えなかったけど…。
て、テルプが生まれ育った村に、ずっと、ずっと行きたかったのは本当…。
だ、だから、これてよかった。
…テルプの心に、触れられて、…よかった…。
彼女は微笑む
アノチェセル、聞いてくれる? ながい、ながい昔のお話。
……ありがとう。
ありがとね。
アノチェの手をとって、横たわる屍の、ひとつひとつを眺める。
……こんなに、なるまで、……。
過ぎ去った長い年月に思いを馳せるように。
ゆっくりと、その輪の中を抜けだした。