少女のむかしばなし 前
第四期:過去から重ねたもの
アノチェセルが吟遊詩人になった理由。
いつもより…大胆だった気がする、彼女と寄り添って甘い時間を過ごす。 今日の出来事のせいか、おぼろげに覚えてる、昔の話、なんかを、ぽつりと口にして。
珍しく大胆に求めた分、彼からの「お返し」が大きくて。
思い返しては恥ずかしくなって胸の中でもぞもぞしていると
これまた珍しい彼の昔の話が聞こえてきて。
テルプの昔話…!
き、聞きたい…!
聞きたい一身で半身を起こせば情事の名残が零れ落ちるのを、
恥らって慌てて掛布をかき集めて隠した。
生まれて始めて街へ出て、さ。
村のみんなにしか聞かせたことなかった歌を、知らない皆が聞いて、喜んでくれて。…たくさん、色んな人がいて、世界は広いなって思ったなぁ。たかがひとつ街を見ただけだったんだけど、その時の俺っちにとっちゃ、…閉じた世界が広がった、そんな気がしたんだ。
ジャグジートと出会ったのも、丁度その頃。色々世話焼いてくれてさ。ちょっと愚痴っぽいけど、良い奴だよねぇあのにーさん。
あ、そだ。よく覚えてる光景があるな。
アノチェ、ちょっと、見てて?
ベッド脇のリュートを手に取ると、ぽろん、ぽろんと弦を弾いて。
その音を聞いていると、……目の前の光景が突然、ゆらりと変化して。
ただの幻だから、怖がらないで?
アノチェセルの周りの風景が変わる。
彼女は街に立って、…幼い頃のテルプと、若かりし頃のジャグジートを見ている様な。
ふたりが楽しげに、噴水の脇で演奏していた。
どう? 見える?
はじめて他人と一緒に、演奏したんだ。村の皆は…メロディーのある楽器の演奏なんて出来なかったから。
夕焼けの中の二人が笑う。歌が響く。
その場所に、隣にいるはずのテルプの声がどこか遠くから、あるいは頭のなかに響いてきた。
うん、見えるよ…!…かわいいなあ。
楽しげに演奏している幼いテルプを微笑ましく眺めて。
…ま、前に、音を叩く楽器は村にあるって、き、聞いた気がする…。
そ、そっか、リズムは村にあったけど、メロディーはなかったんだね…。
じゃあ、そ、そんな村に音を持って生まれたテルプは、愛されてるんだね…!
音の、神様に。
……音の神様、か。
俺にとってのそれは、ノチェだよ。きっと。
誰よりも俺の事愛してくれて、俺に音楽の楽しさを、教え続けてくれる。
村を出たのが君に会うためなら、…村の神様に怒られたとしても仕方ないね。
村の皆とも、歌はよく一緒に歌ったんだけど。楽器の方がね。
俺っちがドレミの音が出るやつを作ったりしたけど、
演奏といえば皆、無茶苦茶に叩くだけで、……それで俺っちも皆も十分楽しかったんだけど。
師匠に初めて、この木で出来た楽器を手渡されて。
思い描いていた音が自分の手で奏でられることに感動して。
街に出て。ジャグジートのリュートと俺の演奏が交じり合ってひとつになって。
……音楽も、世界も、何て広いんだ! って。
幼いテルプも、きらきらした目で興奮したようにジャグジートと話をしている。リュートに触れたのがほんの一ヶ月前である事を伝えると、青年の方は何だか俯いてぶつぶつ言ってるようだ。今見るとひどく落ち込んでいる様子がうかがえるが、少年は何一つ気付かない様子で、にこにこと首をかしげて。
…あ、そっか、歌はあったんだもんね…!
…お、音の神様が、私…?
…えへへ、そ、そっかな…。嬉しい…けど…。
そっと口付けをすると
か、神様はこんなことできないから…わ、私は神様じゃなくて、いいかな…。
む、村の神様には、私も怒られにいくよ!む、村に挨拶しにいくときに!
ふ、二人で一緒に怒られよ?
……ノチェと一緒なら、怒られんのも怖くないな。
心からの気持ちで。
楽しそうに歌うテルプの幻を見ながら。
わ、私もね、こんな感じだった。
…え、えと、ね、師匠って呼ばせてくれないから、す、スワロウおじさんって言うんだけど…歌を教えてくれた人。
そ、その人に歌うことの楽しさを教えてもらって、一緒に演奏して…。
せ、世界が、広がる感じ。
…わ、私も、その時の光景、見せて上げられたらいいのにな…。
──見れる、かもしれない。アノチェの記憶。
君の思い出を、さっきみたいに幻に、変えるんだ。
ちょっとこっちにおいで、と、彼女を膝の上へと導いて。
背中から抱きしめながら、彼女の前で楽器を構える形となる。
…え。み、見れるの?わ、私の思い出を?
え、えと…。わ、わかった。
おいでと呼ばれて膝の上に座らされる。
…ひゃ、な、なんだか恥ずかしい…よ。
背中から抱き締められると、何も身につけていないからか彼女は照れてしまった。
目の前に、彼女の白いうなじと、いい香り。
このまま押し倒してしまってもいいかなぁ、なんて、ちょっと思いながら。
──人の頭の中ってすごいんだって。
人は見たこと、体験したこと、すべてを頭の中にしまってる。それは、普段は記憶の奥底で眠っていて…。
完全に忘れたと思ってたこと、何かのきっかけで、鮮明に思い出すことってあるじゃん?
そんな風に、きっかけを作ってあげれば、記憶の中のその人は、まるで目の前にいるかの様に、しっかりと思い出すことが出来るんだ。
その記憶に、思い出すきっかけを与えたり、…蓋をしたり、何か別の記憶を流し込んだり。それが俺の教わった催眠術。
うん…。す、少しだけ、話してくれたよね…。術の事。
わ、わたし、て、テルプに一度術をかけられそうになったとき、
記憶を消されちゃうのかなって、怖かったの、覚えてる。
そ、そっか、わ、私、テルプの術ちゃんと受けるの、初めて…なんだね…。
うん…でもね、今は大丈夫。
見せたい。私の思い出を。
て、テルプ、お願い…。信じてる…よ。
そういって目を閉じて力を抜く。テルプへ身を預けるようにして。
ん、ありがとう。うれしい。
前に、…術をかけようとした時は。…何ていうか。
欲しかったんだ、君の事全部。強引にでも。……ごめんね。
小さな声で謝罪を。
今こうやって違う形で、君が俺の近くにいてくれて、本当に、よかった。って、そう思う。
ゆったり、ゆっくりとした音を奏でる。
…ね、ノチェが初めて歌に触れた時のこと。思い出してみようか。
ぽーん、ぽーん、と一定のリズムを繰り返して。
目を閉じて、ちから、抜いて。
……まっくらな階段を、ゆっくり降りて行くのをイメージして?
10分ほどかけてゆっくりと、そんな風に声をかけ続けて、彼女の意識を深層へと誘っていく。心を許して彼の言葉に従えば、心地よく、あたたかく、半分眠っているような。身体がふわふわと浮かんでいるようなそんな感覚に包まれるだろう。
さ、しっかり目の前に、思い出の人が描けたら、そこはもう君の幼いころの世界、だよ。
ゆっくり、目を開けてごらん?
彼女が目を開けるのと同時に、彼女の中へと自分の魔力を注ぎこむように。そうすれば、部屋の中は「彼女の創りだした幻」でいっぱいになるはず。
いつかのようなこじ開けるものではなく、ゆっくりと沁み込む様な感覚で。
触れられるのを心地よいと感じているのは、自分の思い出を彼と共有したいと思っているからだろう。
師匠に出会った頃を思い出す。自分の身体が幼い頃の自分に戻っていくような…。
目を開ければ「アノチェセルの幻」が現れていた。
幼い少女の姿が揺らめく。可愛らしさに思わず声を漏らしかけるが、そのまま。
もう少し深いところまで。
そう、これは、どこだったっけ。
……
前にいるのは、誰?
当時のことを、より鮮やかに蘇らせるために、声をかけ続けて。
彼女の幻といえど、視点は何処か第三者のようで…。
写ったのは彼女ではなく、幼い彼女の兄と養父だった。
あ…アルバだ…。おじさんも…。
自分の事なのにまるで他人事のような視点で、彼女はその幻をみた。
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(父よ、この時からわたしをお救い下さい。
しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです)
ち、父よ、こ、この時から、わ、わたしを、お、お救い、く、くださ…はあ…。
溜息をつくと少女は聖書を閉じてしまった。
きょ、今日も全然上手くいえない…。
(おばさんは焦らなくていいって言ってくれたけど…)
ぎゅっと拳を握り俯いていると軽やかな竪琴の調べが聞こえてきた。
あっ!まっ…!
待ってと言おうとした所少女は盛大にこけてしまった。
あー…大丈夫かい?…あああ、可愛い顔に傷が…どれ……。
この程度ならいけるかな…。
吟遊詩人が歌うとその歌声に反応して顔の擦り傷が回復していく。
何かの術なのだろうか…。 だが少なくとも、花が開く事よりもその歌声に少女は感動しているようだった。 興奮した面持ちでパチパチと拍手をする。 す、すごい!すごいよ…!こ、こんな素敵な歌、初めて聴いたよ…!
『話すこと』と『歌うこと』は違うものだよ。
どうだい、ここには誰もいない。私と一緒に練習してみないかい?
その吟遊詩人は軽くウインクをしてみせた。
歌に魅入られた少女は静かに頷く。
きみ、名前は?
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ああ、お師匠さん…、いい歌をうたう人、だね。
この癒やしの歌は…ノチェに、受け継がれているのかな…。
しっかりと、催眠の階段を降りきってしまえば、解除するまで簡単に術が解けることはない。
きっと彼女にとっては、夢の中の様な感覚だろう。それにしても。
……かわいい。
ふぅ、と、ため息を吐いて。
二人で幻を鑑賞する。お芝居でも見ているような感覚だ。
そう…あ、あの人が、スワロウおじさん…。
えへへ、お、おじさんを褒められるのも、嬉しいな。
お、おじさんね、魔力があってそ、それを歌に変換してるの。<
お、おじさんは少しの魔力だったんだけど、わ、私は、そ、その、途中まで癒し手の勉強してたから…なのかな…。
おじさんより魔力があるんだって。
そ、それで、癒しの術を歌に乗せる方法を教えてもらったの…。
師事したとき真っ先に。
う、嬉しかった…。
い、癒しの呪文を、ちゃんと言えなくて、発動なんてまだまだだったのに。
う、歌を通してなら使えたのが、凄く、嬉しかったの…。
…えへへ…ありがと…。
かわいいと溜息をつくテルプに少し照れながら、舞台は次の場面に流れていった。
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もともと讃美歌の練習の為に楽譜の勉強をしていたからか、彼女の飲み込みはとても早かった。 それでも実際に歌わなかったのは、やはりどもることが不安だったかららしい。 最初に吟遊詩人が教えたのは「楽しい」とう気持ちだった。
話すときはどうしても言葉が詰まっていたのが、メロディーに乗せるとすんなりと唇から言葉が流れていくのがわかる。
溢れ出る感情が、伝えたい思いが、歌で表現できること。
彼女はいつの間にか笑顔で歌い上げていて。
その様子に吟遊詩人は微笑むのだった。
それからというもの、アノチェセルは、ほぼ毎日広場で待ち合わせてレッスンをして。 雨の日は東屋で雨音をバックミュージックに伝承や物語を聞いた。 吟遊詩人はそこそこ裕福なのか、見たことのない楽器を持ってきて教えてくれたこともあった。
あいつ最近ずっと楽しそうだな…。 毎日毎日出掛けていくアノチェセルをアルバは少し怪しんだりもしたが、 あまりに楽しそうで、むしろその事の方に安堵したのだった。 それまでは練習に出掛けては暗い顔をして帰ってきていたから…。
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ゆっくりと彼女は頷いて、少女の小さな唇は歌を紡ぐ。
♪
おほしがひかるぴかぴか
ふしぎにあかくぴかぴか
なにがなにがあるのか
おほしがひかるぴかぴか
らくだがとおるかぽかぽ
さばくのはらをかぽかぽ
どこへどこへいくのか
らくだがとおるかぽかぽ
おほしがひかるぴかぴか
らくだがとおるかぽかぽ
そうだそうだこよいは
めでたいきよいよるだよ
♪
風が凪いで、竪琴の調べはその囁きに運ばれていく。
花や木々が歌声に合わせて、観客のどよめきのように揺れた。
イラスト:かげつき
アノチェセルはさらに歌を続ける。
それは探し物の歌。尋ね人の歌。
♪
歌を歌おう
君を探し求める歌を
幼き日々に約束された明日を
嗚呼それなのに
ゆかりの地にゆかりはなく
私の心はさ迷い続ける
♪
吟遊詩人は困ったように笑うと、初めて名乗りをあげた。
そういえば初めて名乗るね…。
私の名はスワロウ。人を探して飛び渡る鳥の名前さ。
……探し物があるかどうかも解らないのだけどね。
少し悲しそうに笑う。
彼は困ったように笑う。
大人の事情ってやつさ。まあこんな年でふらつくのはもうおしまいってね。
持っている竪琴をじっと見つめると
アノチェセル、良ければこの竪琴を貰ってくれないかい?
そう言って差し出した。
泣きそうになるアノチェセルの頭をぽん、と叩くと
辞める訳じゃないさ、お休みをね。
その間この楽器を守っててくれないかい。
その間好きなように使ってくれて構わない。
この竪琴もその方が喜ぶ。
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