忘れてしまおう
第一期:テルプとアノチェセル

悲しい事は、全部沈めてしまえばいい。

シャラン──────
シャラン──────
──────

こんちはー!
あ、どもども、ねーさん。
アノチェいる?
アノチェセルのいる孤児院に遊びに来たテルプ。
彼女と同じクランに属する少女、一葉へと声をかける。

新作、石のおもちゃができましたー♪
今度は男の子も遊べる感じで、積み木みたいになるやつ!
そこまでいつもの調子でまくし立てて……いつもと違いすぎる孤児院の空気に、戸惑うように。
…………どしたの? なんか、あった?

え…………。
……ああ、そう…そうか…。
状況が、飲み込めていないような表情で、ふらりと、踵を返す。
そのままふらふらと、来た道を引き返すように歩き出した。

まって!テルプさん…!
…あの子、吟遊詩人のお友達が出来てから本当に楽しそうにしていました。
…特に貴方のことについては嬉しそうに。
…きっと、きっと帰ってきます。だから───
(ふらふらと歩き出した背に向かって彼女は叫んだ)

ふわふわとした足取りで歩く。
どこへ向かっているのか自分で把握出来ていないのではないかと
心配になる程の不安定さだが、
一応、自クランの方向へと向かっているようだ。
一葉さんの声が届いたのか、届いていないのか。
ただ、背を向けたまま、内容が聞き取れない程度の声がする。

──── ♪

かろうじて、歌である事が分かった。
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震える身体を壁に預け、ずるずると部屋の床へ座り込む。
どうやって帰ってきたのかよく覚えていない、誰もいない自室で
何処を見ているのか、瞳は虚空を映し
ひとり、ちいさな声で、うたをうたう

【 うそだ 】
【 ここにいる 】
【 へいき 】
【 だいじょうぶ 】
【 まだいきてる 】
【 なんでもないことだから 】
【 かならずもどってくるよ 】
【 しらない 】

音が足りない。
もっともっと。
やさしい音を。やさしい嘘を。
どんな音がいい?
頭を振る。溢れるあふれるもっと奏でて響くひびくもっと踊って。
鈴の音が溢れていく。寂しい音を悲しい音を全部沈めてくれ。
────沈めてくれ。

「笑ってていーんだよ♪」
俺の声が頭の中で聞こえる。
そんな事言ったって、どうすればいい、どうすれば笑える?
「今度は、どんな嘘がお好み?」
喋ってるのは俺だ。いつものように踊りながら歌いながら。
「何でもない事にするのは、無理なの?」
「じゃあ、もう、忘れちゃおうねぇ」
やだ、やだ。
(泣いてるみたいな俺の声)
「だって俺っち、悲しいの、好きじゃない。
それは…悲しみは、幸せの証でもあるのかもしれないけれど」
「…俺っちは、好きじゃないなぁ」

やだぁ…。
(ごぼりと沈んだのは水の中のようだった。呼吸が出来ない。俺の声は幸せな歌の中に沈められて、もう外へは聞こえない。最後の呼吸を、必死で、絞りだすように、音にする)
── 大 切 な ん だ

イラスト:かげつき

「 だ か ら だ よ 」
(水底から浮かぶ最後の泡が消える。これでもう大丈夫。
ここには優しい歌しか残っていない)
「さよなら おやすみ いつかまた」
(安心して、笑える)
「 …じごくでね♪ 」
(歌いながら、彼は部屋を出た。いつもの調子で)
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アノチェさんが死亡したという報を聞いて…
心ここにあらずというテルプさんを見て心配だったんだけど。
しばらく部屋に篭った後、いつもの調子で出てきたので少し拍子抜けした。
大丈夫かと問うても、何が? と、その話題に触れたくないのだろうか。
楽器の手入れをしながら鼻歌など歌っていて。
そこへ天野さんも、話を聞いて来たのか沈痛な面持ちでテルプさんを元気付けようと、
ゆっくりした口調で話していたのだけれど。

アノチェセル。って。誰だっけ。

「……忘れる、訳がなかろう」と、怪訝そうな天野さんを横目に
僕はああ、そうか、と、ひとりで何となく納得していた。
村への仕送りと称した金銭や物品が
いつも宛所に尋ね無しで戻ってくるのは
そういう理由なのだ。
きっと彼は忘れているのだ。もうそこには誰もいないことを。

それで彼が幸せなのだとしたら
もうそれでいいじゃないかと。
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双子であるアルバとアノチェセルは、共に生まれ、共に生きた。 死ぬ時は別々だけど、生まれる時は、同時に。と。 アルバはアノチェセルが黄泉の世界へとやってくるのを、待っていたらしい。

無事、ふたり揃ってこの世界に戻ってきた彼らだったが。

あのちぇ殿…!
おお、兄上殿も、良かった、無事戻ったか。
(言葉と裏腹に苦い表情で)
てるぷ殿、なのだが。その。…居るには居るのだが。

なになにー、お客さん? いらっしゃい。
…俺に用? 何だろ。
こんにちは。いらっしゃい。テルプは俺だけど?
(にこやかに挨拶をするが、途中で混乱したように目を泳がせて、
改めて目の前の彼女の顔をじっと見つめる)

──何故か。
君の名を、覚えておらぬ様なのだよ。
……てるぷ殿。
あのちぇせう殿、だ。
テルプの表情を伺うように。

え…、えっと。
────あの、ちぇ? アノチェ?

(まるで初めての人にあったかのような表情に)
て、テルプ…?
(私は…怯える子供のようだと思った…おかしいね、子供は私の方なのに)
(シャランと鈴が鳴る。あの日の夜の音色を思い出す。言葉ではなく音で会話した夜)
わ、忘れちゃった…?
て、テルプ…。
(顔を覗き込もうとするともう一度、シャラン、と鈴が鳴った。もし、忘れちゃったとしても、悲しい思いをさせるなら、私はそれでもいいよ。でも、私は今生きてるよ…テルプ)

シャランと。
俺を沈める音と同じ、だけど違う音色。
彼女の胸元で揺れる音。
甘ったるくまとわりつく様な音の水底に、凛とした響きで響く。
途端、ぬるく淀んだ沼の水が結晶のようにきらきらと、澄んだ音を奏でながら
飛び散る。崩れる。視界が急にクリアになって──

────っ! はぁ……っ
(酸素を求めてあえぐように、呼吸を乱している)

あ……あれ…アノチェ…。あれ? …どした?
(いつもの顔がすぐ近くにあることに、不思議そうに首を傾げる。)

(アノチェセルの様子を見て険しい顔をひとまず緩める)
…話は粗方アノチェから聞いてる。随分と世話になったって。
こいつ(アノチェを指差し)を説教するのは後にして…。
俺から礼を言わせて欲しい。
…ありがとう。
(騎士の最敬礼を、三人に)
もし、何かあれば俺を使ってくれ。
…絶対強くなってみせる。
(その目は強固な意志で燃えていた)
…なーんてな!
(立ち上がり「にか!」っと笑った)

兄上殿も、戻られて何よりだ。(丁寧に、真っ直ぐ礼を返す)
妹君は少々無鉄砲なところがあるように見受けられるが。
……きちんと説教してくれる人が側に居れば、安心であるな。
(笑顔につられて、笑顔になる)
ははは。此方こそ、あのちぇ殿が来てくれると我がくらんが華やかになるからな。
礼を言うのは此方であるよ。次からは是非兄上殿も、共に。
いつでも遊びに来てくれ給え。
…無論、戦いの場にも。頼りにしている。

座って珈琲を飲んでいた赤坂も、慌てて立ち上がるとおどおどと礼を返し。
だ、大丈夫なんです? テルプさん。
わかります? アノチェセルさんですよ?

(しばらくじっと、顔を見つめて、混乱していた記憶が繋がったのか)
あ、ああ、アノチェだぁ。
(泣き笑いの顔で、恐る恐る手を伸ばす。
触れれば消えてしまうのではないかと)
おれ、俺っちさ、すごく。すごく、怖くて。
ごめん、ごめん。ごめんな。

(消えないよと伸ばされた手を取り微笑む)
う、ううん…!わ、わかるから…。
だ、大丈夫だよ…!あ、謝らなくていいよ…!
お、思い出してくれて、ありがとう…。
ま、また歌おうね…?

ごめん、ちょっと、このまま。
(その手を手繰るように引き寄せて。小さな身体を力いっぱい抱きしめた。彼女の鼓動に、規則正しい音に、震えが止まっていく)
ああ、アノチェだぁ…。
(彼女の声を知ってる。歌を知ってる。音を知っている。
温もりを、柔らかさを、その香りを、もっと知りたいと)
(どうして手放そうと思えたのか。)
──おかえり。

(突然の事に事態が把握できず、直後に顔が真っ赤になっていくのがわかった。どんどん早鐘を打つ心臓に邪魔されて言葉は零れていくばかりだ)
あ、あの…えと…えと…ただいま…。
(そうだ、私達は吟遊詩人だから言葉じゃなくて音で…)
(つ、伝わるといいな…言葉にしたら逃げてしまうから…)

(名残惜しげに、ゆっくりと体を離し顔を上げると、目を合わせて)
アノチェーーー!!
(すっかりいつもの調子を取り戻したのか、両手でアノチェの頭をわしわしと撫でている。その笑顔はまだ少しだけ、泣きそうな表情に感じたかもしれないけれど)
お、にーさんも、おかえりー♪
えらくゆっくりだったじゃん。あっちはそんなにいいトコだった?
(アルバに向き直って、今はじめて気づいた様な調子で片手をあげる)

…ただいま。
(物凄く不機嫌そうに呟くと)
双子だから一緒に生まれたかった。それだけだよ。
ああ、でも俺今ちょっと後悔してるわ…。
(つかつかと歩み寄るとアノチェと同じ顔が睨みつけてくる)
…アノチェの件はありがとう、世話になった。感謝している。
…でも、それはそれだ。…妹悲しませたらぶん殴るからな
(ぼそりと小さく)

(その言葉に目を丸くして、アノチェの方を見やる。まだ頬を紅潮させたままの彼女を見ると苦笑して。アルバの頭もぽんと撫でて、何も言わずにその場を離れた)
…………彼女に、もっと良い奴が出てくるまではね。がんばるよ。
(小さく呟いた声は、誰かに聞こえただろうか)